先週、東京は台風の接近により大雨が降ると警戒されていましたが、台風は大きく西にそれて風が強かった程度でした。その台風の去った日曜日の夜、ある大手商社に入った友人と夕食をしました。彼は有名大学の大学院を出て、その後エリート街道を進み、女性の方が憧れるような素敵な海外の都市のいくつかで支店長を経験し、今は本社に戻ってきています。
まさにエリート街道まっしぐらの男性です。その彼が僕にある相談をしてきました。
「加藤、君と話していると色々な夢を聞かされるよ。話をきいてうらやましいよ。そういった夢はもちろん僕にもあるのだけど、一点、君とは違う事を感じるのだよな。俺は君のようにいつまでも夢を追い続けることができないのかな。自分の夢であるのに・・・。もしかしたらこれは歳のせいかな?だけど、歳は君と同じ程だしなあ・・・。それなのに、なぜか加藤は夢をいつも追い続けている。これはどうしてなんだい?俺にはできないのに・・・」と。
私はしばらく彼を見つめて次のように言いました。
「君の会社が行なうような大きな仕事の多くは、会社がそういった仕事を創りだしたことを、責任を持って遂行できる君に任せたのだよ。これはすごい事じゃないか!名誉なことではないか!立派だよ。男であれば誰もがうらやましがることだよ。それが任されている理由は君には実力があるからだと思うよ。そして君も会社に入った時には「社長になるのだ!」と言っていたのだから、これを成し遂げられるようにがんばれよ。
でも、君の話を聞いていて実は気がついたことがあるよ。君の会社のような大企業では仕事を行う上で、社内の協力も非常に重要だし、その根回しも大切だよね。そして、それに対して多くのエネルギーを使っているように感じるな。でも、僕の場合はそんなことにエネルギーを使う必要はない。この点がまず違うね。しかし、君のような会社であればそれは仕方がない事なのだろうから、状況はよくわかるよ。
でも、もっと重要なこととは、はっきり言うと。君は自分のへの見返りがあってその仕事をやっているのではないかな。君がそういった気持ちがないと言っても潜在意識の中にあるのではないかな?エリート街道をまっしぐらで走って来た君だから、親や家族もそういった君に期待しているし、君もそうならなければいけないと自然に思っているのではないかな? 君もこの仕事を成功させ、ライバルを退けて社長のポストへ近づかねばならない、それが当然の流れといった気持があるのではないかな?こういった下剋上の世界は僕にもよく理解できるのだけど、君の質問に対しては夢の持ち方が違うように感じるな。
つまり、僕は見返りを求めないのだよね。ただ、それだけの違いなのだと思うよ。
仕事を成し遂げて、是非とも社会に尽くしたい!そのためには自分の今後のことなどどうでもいい。これは恋と同じだよ。
見返りを求めるような恋はゆがんだ恋だと思わないか?本当の恋とは相手に何も求めることなく尽くしきることではないのかな。そこには何の見返りを求めはしない。仕事も、夢も本当はそうでなくてはいけないのではないかな。それでないと後悔が残ると思うよ。
だから、僕は自分の夢に対して自分への見返りなどを考えないし、またその見返りを考えて夢を創っているわけでもないからね。できることなら自分の才能のすべてを使うことで、社会で生かしてもらいたい、社会に尽くしたいだけなのだ。皆を幸せにしたいだけなのだ。そこに僕の生きがいが、生きていく意味や価値があるのだよね。だから、いつもくじけないのだよ。夢を失わないのだよ。単に、それだけなのだよ。僕は単純だから・・・。
また、そういった精神がもしかしたら、君にとっては「加藤はいつも夢を失わない」と映っているのかもしれないね。その言葉は僕にとっても感謝だよ、恥ずかしいけど、ありがとう・・・。」と。
こういった話を終え、帰宅する時、思いましたね。いくら周りが「偉い人ね、すごい人ね。」といって羨ましがられている人でも、皆、何か悩みがあるのだな~と。
神は人に幸せだけを与えはしないのだなと。神は我々に単に不幸や悩みだけを与えることはなく、その人に幸せの価値を教えるために何か比べるものをきっと与えているのだなと・・・。