とある休日、昔お世話になり、しばらくご無沙汰しているご婦人のところへ、その方の友人(83歳)とご一緒に訪問しました。
このご婦人の方は既にご主人は他界され、もう10年余りお一人でマンションに住んでおられます。年齢も87歳と高齢なのですが、非常にお元気で掃除から家事・買い物まで、全てお一人でなされています。とても裕福な方で、何の不自由もなく、まったくお金に困ることはありません。欲しいものは何でも買える状況にあります。そして、健康のために食事は腹八分、バランスのよい食事を取られ、散歩や体操さらには数箇所の教室で習い事をなさっておられる素敵なご老人です。
声もはっきりして頭の回転も速く、外見を見ても87歳の高年齢の老人とは思えません。ただ、年齢的にやや耳が遠いももの、髪も多いので10歳は若く見えます。
そういったご婦人と話しながら、彼女が訪問した私たちに自慢したことがあります。
それは、「電気ポット」です。
彼女は私たちに紅茶を準備しながら、「この電気ポットはとても軽くて使いやすいですよ。すぐにお湯が沸くし、大きさも私に合っているし・・・。そして、これは私の子供がくれたのですよ。本当にうれしわ♪・・・」とニコニコしながら紅茶を入れていました。
これを聞きながら、私は思いましたね。
このポットはそんなに高級なものでもなく、ごく普通の物です。このご婦人であればすぐに買えるものです。でも、「このように喜びながら、そして自慢げに私たちに話すのはなぜか?」といえば、それは「こういう便利な製品を保有しているのよ。」という所有への自慢話でなく、こうった物があれば便利だろうと子供が彼女のこと思って買ってくれたその優しい気持ちを皆に伝えたかったのでしょう。
このように子供がいつも自分のことを気にしてくれている優しさ、そしてその思いやりを受ける環境に恵まれた自分の幸せが何よりもうれしかったのでしょうね。私はそう思っています。
「人間の幸せ、それは何か?」。いつの時代でも問われ続けてきたことです。
この答えは年齢によってやや異なる点が幾つかあるかも知れませんが、やはり高齢になり、人との交流が少なくなっていく年齢においては、自分の存在も社会から薄れ、子供との連絡も疎遠になります。そして寂しさがだんだんとつのります。そういった中で、何不自由のない経済環境にいるこのご婦人においても、子供からの思いやりは何ものにも替えがたいうれしい宝物なのだ!と感じましたね。
思いやりはお金では換算できません。
実に見えないものは素晴らしいと常日頃思ってる私にとって、本当に素晴らしいことにまた気づかせてくれた彼女の自慢の一言でした。
P.S.ひまわりがたくさん咲いているのもきれいですが、小さな花が一面に咲いているのもとてもキレイですね。出社の際、道の脇に咲いていた花たちです。