私の趣味の一つに熱帯魚の観賞があります。優雅に泳ぐきれいな魚たちを眺めていていると自分もあのように優雅に泳げたらなあ~と思うことがあります。
魚たちは餌を探すために岩をつついたり、砂地をじっと探しまわったりしています。そして自分の縄張りに他の魚が入って込んでくると、すぐに追い払い攻撃に移ります。そして、相手が縄張りより出て行くと、またゆっくりと泳ぎまわります。
狭い水槽ですから、すぐにまた他の魚が縄張りにやってきますから、朝から晩までまさにその繰り返しです。そう思うと、水槽で魚を飼うことが大変魚たちに申し訳なく思います。
そういった魚たち見ながら思うことがあります。
魚たちは何か考えているのだろうか?
彼らは自分の陣地を守る事と食べること、そして危険から身を守ることしか知らないのだろうか・・・?
もしそうなら、かわいそうな生き物だなあ・・・。
でも、この世のほとんどの生き物がきっとこの魚と同じなのだろうが・・・。
自分の寿命も知らず、与えられた餌を食べるだけ。それもいつも与える餌しか知らない。他にもある美味しい餌の事も知らず、またそういったものを食べようといった夢を見る事もなく、他の魚と友達になって遊びまわる喜びも知らず、自分がいつまでも一緒に居たい素敵なパートナーの事を考えることもなく、ただただ、海水の中をゆっくりと泳ぐのみだ。
魚らには夢はないのであろうか?
それとも人間以外の生物は夢を持たないのであろうか?
犬もそうなのだろうか?
犬が時々夢を見ているのでないかといった動きをする時があるが、それは単に顔が引きつっているだけなのであろうか?
犬は自分の寿命を知っているのだろうか?
それとも歳を取ってくるとわかるのであろうか?
もし、それがわかっていれば犬は元気な間に自分のしたいことをするのであろうか?
あるいは、その生き方や行動は変わるのであろうか?
人は他人に何かをしてあげて、相手がそれを喜んでもらえると嬉しいものだが、犬もそうなのであろうか?
道を歩いていて、他の犬に出くわし、その犬に道をゆずってあげた時、相手の犬はありがたく感じるのであろうか?
それとも何も感じないのであろうか?
意外に、相手の犬は「自分はお前より強いのだからお前がよけるのは当たり前だ!」と感じているのであろうか?
こういったことを考えていると人間の素晴らしさにつくづく感心します。
人間が幸せなのはやはり自分の生命の時間を知っているからなのであろう。
そういえば次のような言葉を思い出しました。
「あなたが彼女を愛せるのは何故ですか?それは終わりが在るからだよ」と・・・。