「信じる者は救われる」とか「人を信じると言うことは、 悲しみを知ること」など、世の中には「信じる」という言葉に対して古今東西、色々と格言がありますが、どれを見てもそれなりに納得させられるものあります。
これもその内容が自分の経験と照らし合わせてみた際、思い出されることがたくさんあるからなのでしょう。
今年も「人の力」についていろいろな本を読みましたが、ほとんどの場合「信じる」といった要素が必ずあるように感じました。
「今から自分がやろうとしていることはきっと世の中のためになる」「自分がこれから選択する道が、たとえ間違いであったにせよ決して後悔はしない」「自分を信じてこの道を選ぶ」といったように、やや宗教のニュアンスが入った心の持ち方があるように思ったのです。
「人はあなたを信じていますよ!」と言われれば「こんな私を信じてくれるのか・・」と歯がゆく思うものの、やはり大変嬉しいものです。
きっと皆さんもそうではないでしょうか。
なかなか人は自分自身の評価が出来ないものですからね。
でも、最近感じたことがあります。
「信じること」と「信頼すること」この二つの言葉には大変大きな差があるということです。
何故こんな事を思ったのかは自分でもよくわかりません。
ふと気が付いただけです。
「信じる」というのは自分から出ていくエネルギーであって「信頼」というのは「他人から与えられるエネルギー」であるということです。
「信じる」ということは自分の思った事、考えたことが実現されなかったり、裏切られたりするようなことが起きたとしても、それは相手側(自分の対象側)に原因があるものではなく、すべて自分に責任があるということです。
ですから、この信じる」という言葉は相性が合っていう言葉なのでしょうが、実際は自分自身つまり自分の心に対して発する言葉だと思いました。
一方、「信頼する」は「信じる」とは違い、相手側に対して自分の信じたことを投げかけ、「この私が信じた内容はあなたに任されているのですよ!それも成功することを…」と言った内容であると思うのです。
ですから「信頼する」といった言葉は、相手に自分の望み・夢や命をゆだねている時に使われる言葉ではないでしょうか?
人は成長するにつれてこの言葉を多くの方から言ってもらえるように精進せねばならないと思ったのです。
人から「僕は君を信じるよ!ではなくて「僕は君を信頼するよ!」という言葉をいただけるような人生を送らなければいけないと思ったのです。
人は頼られた時にやはり大きな力が出て、また幸福感を感じるのですね。
「頼られる」というのは互いが紐で結ばれた状態ですからね。
家族の愛もこうした信頼という絆から創られているのだと思うのです。
さて、2014年もこのblogで終わりますが、自分としては「この年末になってこういった生きる上で大切なことに気が付いてよかったな。」と自己満足しています。
最後に、今年も色々なことがありましたが、その度に全力を出して後ろを見ることなく乗り越え、また健康で一年を送ることができました。来年もまた色々なことにチャレンジしようと思っています。
皆様も良いお年をお迎えください
「ホーキンス、宇宙を語る」の読書の合間から バンコクより加藤