ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

人の意思をどこまで受け入れるべきか?

2012.10.26

今週は兵庫県尼崎市で3人が殺され、床下に埋められていたという痛ましい事件がおきました。

ニュースでかなり大きく取り上げられたので、皆さまもご存じのことと思います。

この事件では、ひどい虐待を継続的に受けているという情報をもとに、警察が何度か家を訪問したが、本人より「別に変ったことはない、何もありません。」という返答であったために、警察は何をすることもなく(何もできず)訪問を終えていたということを述べていました。

これを聞いてみなさんはどう思われるでしょうか?

確かに個人の意見を尊重することはよいことで、とても大事なことですが、どこまでそれを尊重すればよいのか?といった点がここでは問題になります。

どう見てもひどい暴力を受けている事は間違いないと感じるが、大人である者が「なんでもない」といった時はその言葉を尊重しなければ(受け入れなければ)いけないのでしょうか?

私は確かに個人の意見は尊重しなければならないと思いますし、社会に被害をもたらすことのないようなプライベートな事に口を出すことは、ある程度は控えるべきだとおもいます。

しかし、誰が見ても普通の状態ではありえないような暴力行為があったと警察が判断した場合は、第三者の確認も求めることができ、さらその様子を詳しく調べる権利を持てるものとして、張り込み捜査や盗聴器の設置などを行うことができるといったことを認めてはどうでしょうか。

大人といえども、ひどい虐待や脅かしを受けていれば本当のことは言えないわけですから、
こういった状況においては、特別な行動が行えるように国は考えるべきであると私は思います。

朝の番組とはどうあるべきか?

2012.10.19

朝は当然のことながら「さわやかな気持ちが持てる時間で始まりたい」と誰もが思っています。

「おはよう」といった元気な声、気持ちのよい青空、小鳥のさえずり、きれいな空気。

いろいろな条件がそこにはあると思います。

私の場合、朝はすぐに窓を開けてきれいな空気を部屋に通すことから始まります。

そしてTVをつけてニュースを見ながら食事・洗面・着替えをして出勤です。

ごく普通のサラリーマンと変わらない行動です。

出かけるまでずっとTVをつけています。

しかし最近、このごく普通の時間の流れの中で非常に不愉快なことが起こりだしました。

その原因は朝の連続ドラマ番組です。

別に、そのドラマ番組が面白いから見ているのではなく、そのドラマの次の番組が見たいので、チャンネルをそのまま変えずにいるだけです。

ですから、この不愉快さはチャンネルを回せば解消することでもあるのですが・・・。

では、どうしてブログで書くほどまでに私が不愉快になるのかというと、ドラマの内容というか演出シーンなのです。

そのドラマは朝のわずか15分といった短い放送時間にもかかわらず、誰もが聞きたくもない叫び声や怒鳴り声、喧嘩といったシーンがほとんど毎日、何度も流れるからです。

誰がそういった場面を見たり、聴いたりしたいと思うのでしょうか?

なぜ、そういったドラマを選定したのか、私には放送会社の考えがさっぱりわかりません。

番組内容の選定にはもっと気を配る必要があるのではないでしょうか?

単に番組選定に関してはシナリオを読むだけでなく、どういったシーンが出てくるかをよく考えれば、当然それが朝の番組にふさわしいか否かはわかるはずです。

今回はそういったことを検討したのでしょうか?

それとも、そこに出てくる俳優・女優が有名人であればいいとでも考えているのでしょうか?

今、視聴者からアンケートをとれば最悪の結果が出てくると私は思っています。

それを見て放送局の人はどう考えるのでしょうか? 尋ねたいです。

山中教授、ノーベル医学賞おめでとうございます。

2012.10.12

今週は山中京都大学教授のノーベル医学賞受賞のニュースが流れました。

先生のIPS細胞の開発は日本の誰もが「いつかはノーベル賞」と思っていただけにうれしいニュースであり、また当然と思える出来事でもありました。

柔道の怪我で受けた整形外科の診察から整形外科の医師となることを目指し、神戸大学医学部卒業後、目指す医師になれたものの、手術がうまくできると思っていた自分の考えとは裏腹に声もかけられない自分に「それなら基礎医学の研究者になり患者さんを助けよう」と決め、研究の道に進んだとインタビューでは答えておられました。

今回は英ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士も医学賞を受賞。

山中氏はなんといっても嬉しいのは博士と一緒に受賞できた事と、80歳の母が生きているうちに、この報告ができたことと言われていました。

人の気持ちとはこういうものなのでしょう。

やはりここまで支えてくれた人への感謝の気持ちが先に出てくるのでしょうね。

非常にスマートでスポーツマンの山中教授。

しっかりと何かを見つめるまざなしと、淡々と語る口調にまだまだ先の長い研究への闘志が感じられました。

さて、とかく「頭のいい人は医学部へ行き医者になる」と言うのが世間の考え方のようですが、もっと能力がある方はやはり研究者になっていただきたいと昔から思っていました。

自分にはそういった秀いでた能力はありませんでしたが、小学生の頃から研究者にあこがれ、出来たら将来は科学者になりたいと思っていました。

それは、色々な人の伝記を読みながら、フラスコやアルコールランプをいじくり、顕微鏡をのぞく姿の白黒写真を見て、それがとってもカッコよく見えたからです。

でも、実際は地道な作業の連続。

「失敗ばかり」と山中先生は言いながら「研究はマラソンと同じですよ」と。

「体力と忍耐の勝負」だと。

確かにそうなのでしょうね。

どの世界においても能力は大事ですが、それ以前にこれらがなければ始まらないのですね。

そして、目指す目的に向かって使命感を持てるということは素晴らしいことですね。

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