『疲れてなんかいないよ!』と、元気に答えてくれる人が少ない、この時世。
商売をしている方と話をしていても、
「なかなか厳しいですよ。」「あまり儲かりませんわ。」という言葉ばかり。
「儲かって儲かってしょうがないですよ!」「体のエネルギーが余って仕方がありませんよ。どこか爆発させるところないですかね。」といった人に会えないものだろうかと、いつも思います。
小学生の子供たちの会話でも、「あー、今日は疲れた。毎日ストレスがたまるよ。肩はこるし。マッサージを受けたいなぁ〜」などの言葉が時には聞かれます。
「この子達は、おじさんかよ?」とあきれかえるほどです。
一方、かわいそうにもなってしまいます。やはり子供は「腕白でもいい、たくましく育ってほしい」がわたしの希望。
学校をから帰ってきたら玄関にカバンを放り出して、一気に遊びに出かけるような子供が好きです。
しかし、いろいろなところでストレスという言葉を聴きます。
確かに、現代社会はストレス社会なのでしょうが、これほどまでにストレスを感じている人がいるのかと思うほどです。
「なぜ、ストレスを感じるのか?」
この答えは簡単。
おそらく多くの方が自分の思うように時間を送ることができないためなのでしょう。
つまり外からのエネルギーにより自分が邪魔されたり、あるいは影響を受けてしまうということでしょうね。
しかしながら、生きていく上でそれを無視したり、逆らったり、逃れたりすることができない。だから精神的疲れを感じてくるのでしょう。
でも、これはMust(しなければいけない)という生き方の世界にいる人が感じることなのでしょう。
人生には2つの生き方があると思います。Must(しなければいけない)とWant(したい)。
なぜ、人はWantの生き方をしないのかと思います。そのような人はいるのでしょうが、多くがMustの生き方をしているためにストレス社会といわれるのでしょう。
Wantを選ぶことができる自由を持った日本社会であるのに、なぜ、それを選ぶ人が多くいないのでしょうか。Wantを選んだ生き方だったのに、あるいは事情が変わりMustの人生になってしまったのでしょうか?
それとも自分のWant が何かわからないのでしょうか?Wantを追いかけることが恐ろしいのでしょうか?毎日ストレスと感じながら、嫌々生きて行くような人生など面白くないと思うのです。
Wantは経済と文化が充分に発達した場合とまったく発達してない状況では起きてこないのかも知れませんが、このような状況はほとんどないわけですから、誰にでも必ずWantがあるはずです。
人生、泣いても笑っても一回限り。 いくつの年齢になってもMustではなくWantの世界を生きようではありませんか。