私は16歳になるまでに10回程住まいをあちこちと移転しました。
このお陰で各地で生活することが出来、親にはとても感謝しています。
そしてどの地域も私にとっては多くの思い出を作ってくれました。
その中でも、もっとも多くの思い出が残る場所が「神奈川県三浦郡葉山町」です。
ここは天皇陛下の夏の御所があり、きれいな砂浜、裏手には小高い山、広い芝生の広場、そして竹やぶや笹やぶ等もあり、自然がたっぷりとあふれたすばらしいところでした。
また、米国海軍基地のある横須賀市まで車で1時間もかからない場所でしたので、多くのUS Navyの方々が住んでいました。
私の家の周りにも外人宅がいくつかあり、彼らの大きなアメリカンカーに乗せてもらったりして楽しんでいました。
そして毎日のよう山を駆け巡ったり、海も歩いて15分ほどでしたので釣りをしたり、外人たちと遊んだりと、まさに子供らしい時間の送り方をここで過ごしました。
先週、ふと葉山の海が見たいなと思い50年ぶりに海と共に自分の暮らした家を見に行きました。
しかし当然のことですが、もうかつての家はなく、私の住んでいた場所は大きな公園となっていました。
走り回った小さな丘や小道、秘密の隠れがを作った笹薮なども全くなくなり、「ここは日本なのか?」と思われるような、きれいなイギリス風の家がたくさん建ち並んだ住宅街になっていました。
しかし、ところどころには思い出が残されていました。
かくれんぼの時に隠れた下水管、近道として渡っていた川にかかった平均台のように細いコンクリートの水道橋、よく弁慶ガニをつかまえていた石垣、友達と並んで小便飛ばし競争をやった川の土手など・・・
じっと景色を眺めながら昔の自分を思い出しました。
出てくる思いで出は楽しいことばかり。
悲しい事もあったはずなのに、頭に浮かびません。
とにかく遊びに夢中だった少年時代でした。
学校から帰ったら宿題だけは終わらせてすぐに飛び出し、日が暮れるまで一生懸命に遊んでいました。
昼のおやつは20円のコロッケ1個。
揚げたてのものを紙に包んでもらい、急いで家に帰って食べていました。
夏になれば友達と一緒に50円でとうもろこしを買ってきて、外で火を起こし、醤油を塗りながら焼いて食べていましたね。
時には魚やセミをうまく捕らえるにはどうすればいいのかを考え、のら犬に追いかけられればどうしたら退治できるかを考え、東京サンショウウオやカメやサメの歯の化石を追い求めて探検に行ったり、板やゴムホースなどを集めて、いかだや足ひれなどを作ったりと海と山に囲まれた自然の中で本当に楽しかったです。
こうしたことを思い出しながら、「今の自分はそういったころの純粋さが失われていないだろうか、もしなくなってきているようなら昔のような自分を取り戻すことを優しく伝えてくれる場所は僕にとってこの葉山なんだろうな・・」とつくづく感じましたね。
「思い出」は美しく、そして誰にも見えないもっとも大事な宝物ですね。
この思い出はいつまでも失いたくないですね。
(こう思うと、アルツハイマーにかかった方はとてもかわいそうですね。何とか救ってあげたいものです。)