以前、中国では若者の男性数が女性数よりも多いため、特に田舎においては、なかなか結婚出来ないという話しをしました。
キルギスでは略奪結婚も起きているそうです。
これを聞いて思いだしたのが、独身女性が求める結婚相手の条件「三高」、つまり「高学歴、高収入、高身長」です。
しかし、時代を経て今は「三低」だそうです。
三低とは「低学歴・低収入・低身長」ではありません。
答えを聞けば、まさに時代を反映しています。
それは「低姿勢、低依存、低リスク」です。
「低姿勢」とは威張らない人。
つまり男尊女卑の男は嫌いということです。
「低依存」は、自分の事は自分で出来る人。
もし、自分が外出して家にいなければ炊事や洗濯は自分でやるし、子供の世話もしてくれる男性ということです。
そして「低リスク」とは自分の生活リズムが大きく変えられる事のない条件です。
つまりは自分の時間を持てるようにしてくれる、相手を望んでいるということですね。
この内容を聞いて理解出来るものの、やや頭をかしげる点も私にはあります。
それは「愛」があれば「低姿勢」とか「低依存」といった言葉は出てこないと思うのです。
長く一緒に生活していく中で「相手を尊敬出来なければ無理」と考えている私にとっては、生活の中で威張るも威張らないもありません。
相手への尊敬を軸において物事を判断してみれば、威張るとか威張らないとかいったつまらない態度のような問題などは起きてこないと思うのです。
何事もお互いが力を合わせてやればよいだけの事です。
また「低依存」というのも「自分が生きていくためには自分で何事も出来なければいけない」といった考え方を持っていれば、出来る内容のレベルに差があるものの、不快を感じさせるほどまで、相手に依存するといったような行動は起きないと思うのです。
この依存症と言うのは「甘え」以外の何ものでもないと思っています。
一方、たとえ依存症でなくても、相手があれやこれやと気を使ったり、世話を焼いたりしてくれるのは愛があるからこそ起きるものなのでしょうから、それを黙って受けているからといって依存症にはあたらないでしょう。
実は私が最も注目したのは最後の「低リスク」という点です。
これは今後ますます重みを増していく事だと思います。
この意味は一見「収入が安定している企業に勤めていて、つぶれるような事はない」などを意味しているように思われますが、私はそうでないと思います。
今は大企業であろうが中小企業であろうが、力のない会社はつぶれる時代ですからね。
それよりも、親は健康であるか?
将来、親の面倒は誰がみるのか?
一人っ子ではないか?
ガンの家系ではないか?
痴呆症などの疑いのある高齢の親ではないか?などといった事ではないでしょうか。
こういった高齢者の面倒を見ることになったら、束縛されてしまい、自分の人生が無くなってしまうといった不安感から「低リスク」といった言葉に現れているような気が私にはします。
まさに結婚条件にも高齢化社会の影響が表れているのではないのでしょうか。