スティーブ・ジョブズ(SJ)氏が亡くなったことは、「あまりにも会社を去ってから早すぎる。そんなに具合が悪かったのか・・・」と世界の人に驚嘆と大きな寂しさを投げかけました。
これは最近のアメリカ歌謡界を取り上げればマイケル・ジャクソン氏が亡くなった時のような感じですね。
我々に夢と感動を与えてくれた素晴らしい天才イノベーターでした。
心より氏のご冥福をお祈りすると共に、天国でもセンセーショナルなことをして皆を幸せにして下さることと思います。
裸一貫でガレージからの企業、そしてオリジナル製品アップルの開発、これをもとに世界NO1の会社としたその功績はまさに天才としかいいようがないですね。
多くの方が「どうしてこんなことが出来るのだろう?」と思っていることでしょう。
私自身も同感です。
そういえば25年ほど前に買った私の始めてのPCはMACでした。(その後しばらくしてWINDOWSのPCを使い出しましたが。)
その当時はMACといえばソフト・PCも含めてデザイナーが主として使う専門職的なイメージで思われていました。
アイコンは今では普通となった図柄タイプでした。
一方、WINDOWSの方はそういったものではありませんでした。
そして友人が私に「仕事にはやはりWINDOWSだよ。」と勧められ、交換し今に至っていますが、そのWINDOWSの画面をみた際の印象は、「これ、MACのマネじゃないの?」といったほどでした。
ソフトの違いはあれ、まさに画面に出るアイコンイメージはMACが当初よりやっていた手法でしたからね。
ですから、「これって特許や意匠権に抵触しないの?」といった感じでした。
WINDOWSがそういった手法を採用したということはそれほどMACの使い方がどんな人にもわかりやすかったということなのでしょう。
つまり、これこそがMACの特徴だったわけです。
今、メディアでは彼の功績をいたるところで多々述べています。
それほど彼は世界の人々に貢献したカリスマだと思います。
特に私は彼がすごい人だと心底思うことは「I−Phone」のOSです。
I−Phoneが発売された当時,スマートフォンは市場にたくさんありました。
欧米のほとんどのビジネスマンはこれを使っていましたね。
また、文字を打つにも小さなボタンキーがついているものが主流でした。
また、ペンタッチ式の製品も多くありました。
さらにPCをみれば指タッチパネルのものも出ていました。
ですから、スマートフォンタイプ、ソフトのダウンロード、タッチパネル、携帯できる大きさ、カメラ機能付きなどといったものは当時からすでに存在していたわけでそれほど革新的な技術ではなかったわけです。
でもI−PHONEがここまで皆の支持を受けたのは何故でしょうか?
私はこれを安価なソフトの提供サービスといったことを覗いてみれば,次の点が大きな一つの要因であろうと考えています。
このSJ氏は「触れる」に固守したこと。
つまり、人間の行動学です。
たとえば、本の次のページを見たい時に人はどうするか?
多くの方はめくります。
その「めくる」という自然の動作を追い求めたわけです。
合わせて大きく物を表現したい時は「手を横に広げて」表現する。
そういった普段なんでもなく使っている行動をとことん研究し、この考えを現実化へ移すという、ものすごい開発エネルギーを持った人だったのだろうと私は思います。
小さな四角い箱にソフトをダウンロードするとか、そのスピードを早くするとか、カメラや電話・TVが見られる、電池が長持ちするといったことは時代ともに技術革新の中からおのずと出てくる自然的なことです。
ですから、それ自体はさほどすごいことではないし、すぐ価格競争の世界に突入です。
しかし、彼はそこに目を向けるのではなく人の行動を鋭く観察し、誰もが普段やっている行動を視覚に訴えるといった点でまさに現代の天才というべきダヴィンチだったのでしょう。
私は強くそう思います。