最近「エコ」がやたらとテーマになっています。
産業自体がエコを推進することにより、自然を大事にする会社姿勢をアピールしているようにも思われます。
これが、本当に自然を大事にしたいために行っているのか、それとも国からの強制により行っているのか、はたまた会社成長のために行っているのかはわかりませんが、エコ活動は概して良いことだと思っています。
「エコ」を目指すという事で日本企業は大変だと言っていますが、本当にそんなに大変なのかな?と時々思うことがあります。
それは今までの我々の生活が贅沢すぎたので、それをキープしての行動を起こそうとするからなのでしょう。
だから、「企業は国民に対して少し今まで贅沢な部分があったので、この点を改めました。このため、もしかすると皆さんに今までと比べやや不便をかけるかもしれませんが、お許し下さい。しかし、これにより地球に対し、あるいは資源に対し○○といった貢献ができますので」と、いったメッセージを伝えても良いと私は思うのですが。
これこそ、地球人がこの美しい地球を守るために皆で貢献している姿と思うのです。
こうは思うものの、やはり贅沢がしみ込んだ生活はそう簡単には落とせないもの。
なかなか、その考えを皆に納得いただくことは大変な事なのでしょう。
つまり、「エコ」という言葉は贅沢をするからこそ出てきた言葉のように私には感じるのです。
例えば、よくアフリカやアマゾンの原住民生活のTV番組がありますよね。
彼らは食生活で必要以上の食料を取ったり、動物を殺したりしません。
ゴミもほとんど出ることなく、皮はテントや腰巻に使用し、骨は串や矢じりに使用しています。
つまり、資源を無駄なく使っています。
確かに獲物を取るのは大変だから、そうせざる得ないという点はあるのかもしれませんが、神から与えられたこの自然の生き物の命を大事にしているからだと思います。
これが無駄にしないにつながっているのでしょうね。
それに比べ、先進国ではマグロを食べるとなれば(大トロ)(中トロ)(赤身)といったように好きな部分が食べられます。
これはやはり無駄というのではなく、贅沢な行動でしょう。
そして、自分の好きなものを食べてばかりいると食の偏りが起こり病気になる。
一方、いわしを頭から丸ごと一匹食べるとすべての栄養が取れ、栄養バランスがよく健康にも良い。
これってやはり贅沢をせず、無駄を省くことにより起きている食生活行動ですよね。
つまりこの行動そのものがエコの行動ではないのでしょうか。
車を使わずなるべく歩けば排気ガスもなくなりますし、自動車もそれ程、大きなエネルギーを求めないのであれば、多くガソリンを使うこともなく、需要も少なくなり、炭酸ガスの排出量も少なくなるはずです。
つまり車を使わない。
タクシーや自家用車は使わない。
そのかわり皆が公共交通手段を主として使う。
これもエコへの一役ですよね。
「エコへの貢献」ということを考えてみると、案外、簡単な事で必要以上に無駄をしないということに他ならないことではないのかな?
やりすぎると「どけち」や「みすぼらしい」というふうになってしまうから、そこまではする必要ないですが。