発展途上国に行くといつも思うことがある。人はどんなことをしても生きていけると。
都心を離れ田舎町に着く。ここは同じ国といえども都心と違いかなり物価が安く感じる。軽食であれば120円も出せば十分だ。しかしこういったところでさえも、アパートに住むこともできず高床式の粗末な小さなバラック小屋を立てて生活している人たちがいる。この人たちにとってたとえ100円といえども非常に高く感じるのだろう。
家の前では、父親がタバコをふかしていたり、ただボーと外を眺めていたりする。また、子供たちは無邪気に大声を上げて追いかけっこをしていたり・・・。
多分、この家では女性が働きに出て生活を支えているだろう。一日1,000円として一ヶ月30,000円の収入。いやそんなに稼ぐことは無理だ。多分その半分の15,000円ほどがいいとこだろう。これで4??5人を養っている。なんとたくましいことだろう。
日本では会社でリストラされて再就職さがし。でも仕事が見つからない。見つかっても給与が低すぎる。こんなことでは生活ができないと嘆くエリートサラリーマンだった人。
違った場面では、経営がうまくいかない。売り上げが伸びない。これではもう自分は終わりだ。もう死ぬしかない。といった先行きの不透明感に絶望的な考えを持つ経営者。
なんと暗い人が多いことか?一度、そういう人たちには言いたい。
人はどんなことをしても生きていける。
今、私は贅沢まではいかないが、そこそこ経済的にも満足な生活を送っている。でも、明日からたとえ今の給与が10分の1になったとしても生きていける自信がある。それはなぜか?給与が変わっても自分が変わったわけではないから。そして今の状況にしがみついていないからである。
たとえどんなに落ち込み、みじめといわれるような生活を送ることになったとしても、自分はできると信じている。そして、それにストレスを感じないようにする方法も心得ている。
これも自分の運命の一つとして、その状況を素直に受け取ること。
私は性格上これができるのが特徴。ただし、一点違うところはたとえどん底に突き落とされてもそこにはとどまらない。必ず復帰するエネルギーがあるということ。