日本に居て特に思うのは「本当に安全で豊かな国」ということです。
安全については先週のブログにも書いたとおり、どこに物を置いても「盗んでいく人はいない」とつい思いがちになる点です。
また、ドラッグストアなどで「本日のお買い得品」を店外の棚に置いて宣伝していますが、そこにはこれを監視する店員はいなといった点です。
これも「誰も盗んでいかない」といった考えが基本となっているからでしょう。
外国であればたとえ人通りが多い場所であっても、盗まれるでしょうね。
こんなことが出来るのは本当に日本だけです。
一方、外国ではまさに「乞食」といった人を見ますが、日本にこれほどまでに落ちぶれた人を見ることがありません。
確かに不潔で匂いを発する浮浪者のような人はいますが、ゴミ箱をあさって食べ物を探すような人はほとんど見ません。
町を歩けばアルバイト募集のチラシはあちこちに張られ、働き口はたくさんあります。
今の日本で仕事をあれこれと選り好みしないのであれば、絶対に仕事は見つかると私は思っています。
ですから、こうした行動をとる人はその人の「趣味」だと私は思っています。
厳しく聞こえるような言葉ですが、日本はすばらしい環境を国民に与えている数少ない国だと私は信じています。
それはまさに国民の力によるものです。
決して経済力だけで出来るものではありません。
「素晴らしい国民性」という力によりこれが創られていると思っています。
今の日本には貧乏という言葉は私にはないと思っています。
「そんなことはない、私の家は貧乏だ!」と言われるる方もおられると思います。
でも、それは違います。
きっと、貴方は「質素な生活」をしているだけと思います。
無駄のない生活をしているだけです。
貧乏の言葉の中に私が感じる語感は「お金がない」以外に「清潔感に欠ける」といった感じです。
それはきっと多くの諸外国で乞食を見てきたからでしょう。
私にとっては乞食=貧乏なのです。
前にも述べたように日本には貧乏な人はいないです。
でも、質素な生活をしている人はいます。
つまり贅沢せずつつましく生活している人はいます。
でもこの質素に生活している人が果たしてお金がないといえるのでしょうか?
確かにRichでない方もいますが、決して私の意味する貧乏ではありません。
服装もきれいですし、お風呂にも入りますし住居もあります。
決して貧乏ではないのです。
でも、生活は厳しいといった言葉を吐く人がいます。
もし、もっと自分の望む生活環境をしたいのであれば、第二の仕事や自分の能力を高めればいいだけです。
行動すればいいのです。
自由な事をする環境がこの日本にあるのに、あなたがそれをしないだけです。
だからそういった言葉が出るのです。
私はいつも思っています。
「この日本には貧乏の人はいない」と。
その質素な暮らしの状況に不満を持つ人がいたらその考えはおかしいと。
もし今そうなっているとしたら、その方はただそうした暮らしが好きなだけのこと。
本当にその暮らしを変えようなどと思っていないだけと.