標高差1300メートルの山道を、七年かけて通算で1000日巡礼をしながら歩く「千日回峰行」の話しを聞いたのは今から四十年以上前の事です。
当時高校生であった私は、冬の寒い朝の朝礼で、宿舎の館長である重田先生が話されるこの話を興味深く聞いていた事を覚えています。
初めの一年目から三年目までは一日30kmを年に100日、四年目、五年目も同じ距離で 年に200日歩きます。
そしてその後、九日間の「断食・断水・不眠の行」に入ります。(無論、それを行うには体をこういった環境に耐えるよう整えてからです)
周りには幾人もの僧侶が香をたいて祈り、その成業を見守ります。
一般に人は食物と水がなければ四日ほどで死ぬと言われていますので、これは想像できない事です。
実際、この回峰行をなしとげた酒井さんいわく、「四日目には魚が腐ったような臭いが体中からしだす」と話しておられます。
そして六年目からは一日60km、七年目はさらに一日84kmと歩く距離も増えていきます。
歩く時はいつもワラジで、この距離ともなると睡眠時間も2時間ほどだそうです。
平坦な道でさえこれほどの距離を歩けないのに、ましてや暗く歩きにくい山道、時には天気も乱れる中で、信じられないような距離を巡礼しながら歩くのです。
今のところ、この行を遂げた人は1571年以来三人しかおられないそうです。
皆さん、これほどまでに厳しい修行が日本にあったことを知っていましたか?
私がこの話を聞いた時、非常に衝撃を受けました。
「仏教を悟り知るにはこれほどまでに苦しい修行をおこなわなければいけないものなのか?世の中にはそれを追い求める人がいるのか?達成すれば何がわかるのだろうか?もし、修行の最中に死んでしまったらその時どう思うのか?」などと色々な事を思いましたね。
そういった回峰行を二度も達成した前述の酒井さんが先日心不全で87歳で亡くなられました。
特攻隊員として終戦を迎え、何度もの事業の失敗や、妻の自殺による死別を経て、比叡山に入りました。
今になって思えば、是非ともお会いしてお話しを聞きたかったと思っています。
本当に惜しい人を亡くし悲しいです。
現在、回峰行を実行中の僧侶がおられるかどうかは知りませんが、自分でも理由はよくわからないのですが、いつまでもずっと残していただきたい、まさに肉体と精神の究極な修行だと思っています。