先日久々に今まで尊敬していた先輩に会いました。
私よりは10歳以上年上で、家柄も立派な方で、大きな会社の役員をされ、その後、ある大きな組織の理事を任されている方でした。
酒を飲みながらお話しを聞いていたら「もう僕には学ぶことがなくなったよ。」と言われました。
酒の勢いがあったせいかもれませんが、真剣に聞いていた私にとってはその一言は興ざめでした。
なぜなら「人間はいつまでたっても勉強だ。」ということを心に納め、間違ってもそういった言葉は言えないと思っていたからです。
私達は日々いろいろな欲望を持って生きています。
もう少しお金があったなら、もっと若かったなら、もう少しきれいだったなら、もう少し背が高かったならと、全ては満たされない中に生きています。
でも、もし、こういった望みがかなえられ「もう自分には望むものがない」というようなことが起きたなら、本当に幸せな人生が送れるのでしょうか?
人間の自然な姿は欲望の塊だと思っています。
自分の望みが達成したら、新たな望みが生まれるのが当然と思うのです。
今まで行ってきたことを、更に大きな分野へと広げたり、深く研究することもよいでしょう。
あらたな目標を掲げ、例えば、「宇宙に旅行してみたい」「ピアノが素晴らしく弾けるようになりたい」「何かを発見したい」などがあってもいいのではないでしょうか。
なのに、「もう僕は学ぶことがなくなった」など、なんと情けない言葉なのでしょう。
視野が狭い発言なのでしょうか?
彼への尊敬の気持ちが一気に吹き飛びました。
自分にとって到達できた場所は、更に卓越した人にはそれはほんの入り口に過ぎないのです。
世界にはすごい方がおられるものです。
そのことは歴史が教えてくれます。
つまり、いつまでたってもゴールにたどり着かないその不満が、実は我々を幸せにしてくれているのでしょうね。