ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

やはり海辺の食堂はいいですね

2015.10.23

先々週は韓国でした。

今回の仕事には時間がかかるだろうと予想していたのですが、思ったよりも問題なくスムーズに事がすすみ時間が出来たので、海を見に行くことにしました。

この時期は韓国でもマツタケの季節ですから、「市場に安く出回っているかな?」と思っていたのですが、あまり見ることがありませんでしたので、海沿いのレストランに行き、海を眺めながらコーヒーでも飲もうかと思ったわけです。

しかし、渋滞で海に着くまでに時間が思ったよりもかかり、夕方になってしまいました。

そこで、この時間になったならコーヒーではなく、早目の夕食でもとることにして、海辺のレストランに入ることにしました。

おいしそうな海産料理を目指し海辺を歩いていますと、浜辺の端の奥まったところに6個ほど生け簀を置いた食堂がありました。

脇ではおじさんがイイダコを採るためのわなを作っていました。

私も始めてここでイイダコ取りの仕掛けを見ましたが、蛸壺ではなくて自然の貝殻をつかってとることを初めて知りました。

この仕掛けを海に沈め、数日後に引き上げるのでしょうが、この貝殻の中に餌は入れるのかどうかはわかりませんが、多分入れなくてもいいのでしょうね。

イイダコが身を守るための棲家として、この貝殻に入るのでしょうから。

一方、食堂の生け簀にはあまり魚はおらず6種類ほどでした。

でも、私の好きな「アナゴ」がいました。

日本で食べるときは寿司屋で、二切れほどのネタをあぶってもらい、塩を少しかけて食べますが、蒸されていますから柔らかくおいしいですよね。

一方、今回「アナゴを注文したい」と店の人にいったら「2匹からだ」といいます。

生け簀にいるのは太さ4cm、長さ50cmほどの大きなアナゴですから、2匹も一人で食べられません。

1匹でも多い位です。

そこで「1匹にしてくれないかい」と言いましたら、「1匹にすると値段は高くなるよ。半分の値段ではないよ。いいのかい?」というので「かまわないよ」といって注文し、海岸に面したビニールテントハウスの中にあるドラム缶テーブルの席で出てくるのを待っていました。(ドラム缶の中には炭をいれて焼肉ができるようなコンロが作られています。)

まもなくアナゴが3つに切られ出てきましたが。

その量は思った以上に多かったです。

これを網で焼き、頃合いを見て、焼き食べやすい大きさにハサミで切って塩をつけて食べましたがおいしかったですね。

でも、寿司ネタのように蒸していませんから肉には弾力がありました。

店主が「目の前の海で取れたものだからうまいよ」と自慢していただけに、油ののりもよかったです。

初めてアナゴを焼肉のようにして食べました。

アナゴはぬめりが強いので注文した後、失敗したと思いましたが、全く皮にはぬめりなどなく、とてもおいしいものでした。

しかし、この1匹でお腹は十分いっぱいとなり、他に何も食べることはできませんでした。

韓国にきたら是非食べてみてください。

でも2人で食べた方がよさそうです。

量が多すぎますからね。

飲食業をやりたいのなら

2015.10.09

私の友人に自分の店(バーやレストラン)を持ちたいというものが幾人かいます。

そこには店を持って時々友人らを呼び、おいしい料理や飲み物をふるまい、楽しい時間を送りたいといった気持ちがあります。

そういった話を聞きながら、思うことがあります。

私の自宅近くには多くの飲食店があります。

でも店の入れ代わりも激しいです。

新しい店が開店して、お客さんも意外に入っていると思っていたら、半年ほどで急に閉店となってしまうような店も少なくはありません。

これはきっと、人件費や家賃といった固定費や造作費用をまかなうほど利益が取れなかったのでしょう。

閉店する様を見ていると、不景気でも強いといわれる小さな飲食店の経営でさえ、現実はかなり厳しいということを感じさせられます。

一方では夫婦と子供たち、あるいは兄弟や姉妹に加えアルバイト1人ほどで焼き鳥屋や小さな居酒屋を地道に長年やっている店もあります。

店はテーブルとカウンターあわせて20人にも満たない小さな店で、メニューも家庭料理的なものが主です。

こういった店では多くのお客を求めるのではなく、安定した経営を求め、無理はせずに自分たちのできる範囲で頑張っているような気がします。

作れる料理の品数や量はキッチンの大きさからも限られており、店の閉店時間も22時、材料の仕入れ量も一定で、材料がなくなったらそこで終わり、新たに材料を買出しに行くことはないといった具合です。

値段も安い店と高い店の中間ぐらいの値段をつけています。

安値とすることで多くのお客を集め、これによって自分の手が回らずにサービスや料理の味が落ち、お客さんを減らしてしまうことはしたくないといった考えなのでしょう。

自分の生活が守れるように安定した経営が行えるように、一元客でなく何度も通ってくれるような固定客をたくさん持てるように、おいしい料理作りに励んでいきたいといった気持ちを感じます。

こういった経営ができれば人件費が外にでていきませんから、厳しい時でもなんとかやっていけるのでしょうね。

飲食業をやるのであれば人件費をまず抑え、自分にアイデアがありそれを自分の能力である程度行うことができ、料理作り(つまりシェフ)が出来ないとやはり飲食業は難しいような気が私にはします。

ふと不思議に思った事「何故、下を見ると怖いの?」

2015.10.02

先月のシルバーウィークで多くの日本人が海外に出かけたようです。

私もホンコン経由でバンコクに飛びましたが飛行機は満席に近い状態でした。

国内旅行であっても、どこにいっても交通渋滞に会うし、と言ってこういった連休を使わないと海外旅行は難しいし、この時期を逃せばいつ行けるかわからないなどといった理由で、やもおえず旅行なさっているのかもしれませんね。

せめて訪れたところではいい天気であって、楽しんでもらいたいものです。

さて、当たり前のように起きていたことでも以外に気がつかないことがたくさんあります。

そういったことで最近ふと気が付いたことがあります。

それは飛行機の上から下を見ても何も怖くわないのに、高いビルから下を見ると怖いのでしょうかね。

その理由は風が吹いているから?

周りに触れるものがないから?

それとも普段の生活では高いところから下を見るようなことをしていないから?

等と、どういった理由からなのでしょうか?

皆さんは考えたことありますか? 

実際私も高いところは嫌いです。

でも、高いところに上って下を眺めたいと思います。

しかし、いざ、上ってみるととてもびくびくします。

脚がぶるぶる震えます。

若い頃、大学を卒業し、会社の研修でコンビナートの中にある廃ガスを燃やす煙突(30m以上)へ上るよう指示を受け、登った事があります。

その時も脚がぶるぶる震えましたね。

鉄の梯子をしっかりと握り足を踏み外さないように、注意しながら登ったのを覚えています。

周りを見ると恐ろしくて、ずっと煙突の表面だけを見て下も周りも見ないようにして登りました。

上に着くと左右に20cmほどぐらぐら動いていて、実に怖い事怖い事、今でも忘れませんね。

でも、登れば今度は降りなければなりません。

これが登るよりももっと怖かったですね。

今となってはいい思い出でですがね。

このように、上から下を見る場合でも非常に恐ろしいこともあれば、条件によっては、なんの恐怖を感じない事もあり実に不思議です。

一方、この逆のことを行ってみたらどうでしょうか?

上を眺めてもまったく恐ろしくありません。

つまり、下からどんなに高い(空や星)を見ても怖くはありません。

不思議ですよね。

つまり、下を見ることから来る恐ろしさは、意外にも見る距離が原因で起きていることではなさそうですね。

原因は自分にある経験(記憶)から来るものなのでしょうか?

つまり、この高さから落ちたら死ぬとか危ないといった事が、恐怖感を引き起こすのでしょうか。

飛行機の場合は「落ちることはめったにない安全な乗り物」という事で安心していて、怖くないのかもしれません。

よって、高さからくる恐怖感も全ては自分の気持ちと経験次第で解決できることなのかもしれません。

単にこの恐怖感を乗り越えられるような機会がもてなかっただけなのかもしれませんね。

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