ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

富の集中化

2015.11.13

今週水曜日に驚きのニュースが流れました。

絵画が好きな人はご存知かもしれませんが、アメデオモディリアーニが描いた裸婦が横たわった油絵が210億円でクリスティーズオークションにて落札されました。

そしてその支払いはなんとアメックスカードのクレジットカードで行った?といいますから、また驚きです。(以前45億円ほどをアメックスカードで支払ったことから、今回もそうしたのではなかろうかといわれています)

彼は中国の長者番付では270番目ほどの方で51歳代の会社経営者だそうです。

彼はタクシー運転手をした後にハンドバッグ製造で成功し、その後、不動産や製薬事業などを行ってきて大富豪になったとのことですが、そのビジネスの一つに絵画の取引も入っているとそうです。

また美術館も保有しています。

しかしすごいものですね。

絵画1枚にここまで大金を出して買うのですから。

1億円のマンションなら210軒買え、2億円の小型ジェット飛行機なら100機以上が買えるのですから、その金額の大きさに想像がつきません。

ここまでの金額になると、その価値がいかなるものであるかを比べるに、何を持って比べればよいのかその対象が難しいですね。

比べることのできないほどのものと言ったら、生命や思い出なのでしょうかね。

でも、本来であれば価格はつけられない価値のものと言っても、どうしても欲しいからこそ、それに価格がつくのでしょう。

でも、思うのです。 

たとえば、「自分はどうしてもそれを欲しいから自分の命をかける」と言ってその命を売る人が出たとしたらいくらと算定するのでしょうか。

その人の命は一生働いて稼げる金額で算定されるものでもありませんからね。

その人が生きていること事態に価値を持つこともあるわけですから、これからどういった価値を生み出すかもわからない状態では、価値をつけること自体が無理ですからね。

よって、価値とは人の要求を数値化したものといえるのでしょう。

変な方向に話が進みましたが、ともかく世の中にはすごいお金持ちがいるということです。

ですから、街中で見かけるような高級車やボート、立派な家などを持っているような人も確かにお金持ちなのでしょうが、世界と比べるとまったく別レベルの人がいるということですね。

昔はそう言った人達はアラブの王様だけと私は思っていましたが、今は違うのですね

そこで、世界にはどのくらいの国で富に寡占を行っている人がいるのかを調べてみました。

これはクレディ・スイスが所得上位10%の人たちの資産が、その国の総資産に占める割合はどれくらいかというのを調査しています。

これによると昨年で最も富の独占、言葉を変えれば「富の集中」が行われていると言われている国のナンバー1は「ロシア」でした。

独占率はなんと85%です。

驚きの数値ですね。

続いてはどこだと思いますか?

意外な国です。

それは「トルコ」、78%ほどです。

それに続き香港、インドネシア、フィリピン、タイと続き、アメリカは75%だそうです。

一方、富の分配が進んでいる国はベルギーで47%、2位はうれしいことに日本です。

この2カ国だけが50%以下の数値、つまり富の独占が行われていない国となっています。

どうして、日本が2位かを考えて見るとやはり高所得者への累進課税のせいなのでしょうかね。

考えなくなった日本人

2015.11.06

毎度ぼやいていることですが、最近は考えない人が増えたような気がします。

道ではスマホばかり見て歩いている人がいます。

向かいから歩いて来る人がいればぶつかってしまうことは明らかです。

そういう事がわかっているのであれば、道の脇を歩いて迷惑かけないようにすべきです。

無論、スマホを見ながら歩くこと事態が無礼な行為というべきですがね。

私が理解できないのは「なぜ、こういった無礼な行為をするか?」なのです。

それを無礼な行為だと思わないのでしょうか?

スマホを見つめるといった行為は、自由な行為だから許されるべきだと思っているのでしょうか?

それとも、全くそういった行為の良し悪しを考えるといった事態、思いもしないのでしょうか?

もしそうであれば、これは日本の国に最悪の人間が育ってきていることを意味していると私は思っています。

では、「なぜ、そうなってそうなってしまったのか?」

情報化社会の発展でインターネットへの依存度が高まり、このことが若い者たちの思考能力やコミュニケーション能力を低下させたのが大きな原因だと私は思います。

さらに、ゆとり教育といった事で授業時間を少なくする一方で、そのゆとり時間を使って人間性を高める・世界に通用する能力を高める・社会への参加を考えさせる、などといった事への教え(導き)がなされなかった事とともに、単に「ゆとり」の時間をつくるといった行為だけに終わったためではないでしょうか。

そのため、「のんびりとした時間を過ごす」という事だけにこの貴重な時間が浪費されてしまったのだと思います。

また、授業事態にも問題があるでしょう。

日本の学校で教わる授業のほとんどは教科書を基に主に行われますから、「覚える授業」つまりは「記憶する授業」です。

これならば、私は学校に行かなくてもよいのではないかと思います。

教科書を毎日家で5回読む事で十分のように思っています。

わざわざ学校まで行って記憶する授業を受ける必要がどこにあるのでしょうか?

いまの教科書は何のためにあるのでしょか?

私には全く理解できません。

私が学校に求める教育とは「考える教育」です。

「なぜだろう?」といった疑問を子供たちにもたらす教育です。

これだけで十分と思います。

つまり、その疑問を子供たちが徹底的に考え調べ、自分としても答えを出せるように導く教育です。

私はこういった教育が日本で行われることを心から期待していますが、皆さんはいかがでしょうか?

こういった教育がなされてこなかったからこそ、スマホにくぎ付けの人が増えているような気がして仕方がありません。

敷地から出てきた物は意外なものだった

2015.10.30

私の家はマンションの高層階。

当初この地に住んだときは、遠くに見えるビルの赤い光が夜になるととてもきれいで「やはり東京の夜景は素敵だな」と感じていました。

また、この地区は昔の寺町だったのでお寺が多く、このため静かで緑も多くあり、部屋から眼下を見ると古い民家(昔の長屋のような家)が集まった一角もあったりし、新旧混じったこの地がとても好きでした。

ところが、ここ1年の間に新たなマンション建設がどんどん行われだし、狭い敷地に高いマンション(13階以上)が建ち始めました。

このため周りの景色も5年前と比べてがらりと変わり、だんだんと部屋からは緑が見えなくなり、コンクリートの建物ばかりが目の前に見えるといった具合です。

こういった景色の変化は皆さんもきっと身近に経験していることでしょう。

そういった中、眼下に見えていた古い民家の一画(10軒から15軒ほど)が全て壊され、その敷地に8階建てのマンションが建つことになりました。

この2ヶ月間はその取り壊し作業が朝から夕方までずっと続いていました。

一度にこれだけの民家が壊されるのですから、もしかしたらこの土地は借地契約で家が建てられていたのかもしれませんね。

ともあれ、なつかしさを秘めた古家が壊されていくことはさびしいものです。

住まれていた方の多くはお年寄りの方でしたが、きっと50年以上は住まれていたのではないのかと思っています。

そういった都会の真ん中で行われていく古家の取り壊しと整地作業を日々見ていました。

そんなある時、意外なものが出現しました。

それは「井戸」です。

「こんな都会の真ん中に井戸があるなんて!」とビックリです。

昔はこの地域は徳川の家臣の武家屋敷が多くあったところと聞いていますから、もしかしたらその時代からこの井戸が使われていたといったことも考えられますよね。

でも、ここにはマンションが建つことになりますから、きっとこれも埋められてしまうかと思うと非常に残念です。

私としてはこの水を使った日本庭園でも造ってそこに鯉でも泳がしていただきたいですね。

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