昨年、相模原市で起きた障害者施設殺人事件(19人が刺殺され26人が重軽傷)は大量殺人事件となり世間を騒がせました。
犯人は「この人達は生きていても役に立たない」と思って殺した」と言った動機を述べたことに対し、記者が障害の子供を持つ家庭を訪ね、そのお母さんに今回の事件へのインタビューをしたTV放送を見たのですが、そのお母さんの回答に私は大変心打たれました。
その発言内容は、「私はご覧の通り、知的障害を持った子供(TVで見た感じ年齢は16歳位?)がいます。確かに世間からはこういった人たちが白い目で見られていることは確かです。私もそのことはよくわかっています。この子は口を開き、顔をゆがめよだれを垂らして声を上げていますから、確かに周りからみられれば変な表情ですので、障害と理解しているものの、なんとなく避けたくなる気持ちになるのも仕方がありません。でも、私にはそれが変な表情と全く感じられないのです。その表情から感じるのはただ一つ、子供が心から喜んでいることだけなのです。だから、その表情がとっても可愛いいのです。とても好きなのです。いつまでもこの喜びの顔を見ていたいのです。確かに、こういった子供と一生、生きていくことは実際に大変でしょう。それは自分でもよくわかっています。でも、私は幸せなのです。
(途中省略)
こういった主旨をニコニコしながらおっしゃられていました。
実際、我々は多くのことに関して視覚により感情が大きく左右されます。
でも、そうではなく、このお母さんは根本を見つめることの大切さを、子供への愛を通じて語ってくれたように感じています。
短い言葉でありましたが、私にとっては何だかとても印象に残る言葉であり、
最近人間の心の醜さに少し疲れていた私の心をとてもさわやかにしてくれ、晴々とした気持ちになりました。
また、その話を聞きながら自分も小学生時代のことがうかんできました。
当時、私はバスで学校に通っていたのですが、いつもお母さんに車椅子でバス停まで連れられてきていた小児麻痺の子がいました。
そして彼がバスに乗る時、自分をはじめバスを待っている子供たちが、荷物や水筒を持ったり、車椅子を持ち上げるお母さんを手伝ったりしていました。
お母さんはいつもニコニコ顔で感謝し、彼も首をぐるぐると回したり手をばたばたさせたりして、バスに乗り込むのを楽しみにしていました。
純粋な気持ちで一生懸命お手伝いしていた自分の小さい頃の思い出を呼び起こしてくれたのは、まさに今回のお母さんのお話でした。
お母さんに感謝です。