ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

仏の眼。

2008.01.11

お正月の皆様のお宮参りは、家の近くの神社に、あるいは参拝客でにぎわう神社にといったように様々でしょう。

私の今年の願いは前回記載したとおりですが、お祈りの際に仏像を見ていつも感じることがあります。

『なぜ、仏像は半眼なのであろうか?なぜ仏像は耳が大きいのであろうか?』

皆さんも、このようなことを思ったことはありませんか? 

多分、耳が大きいのはどんな内容であろうと庶民の話をよく聞いてあげるという意味合いからなのでしょう。

でも、目が半眼なのはどうしてなのでしょう。

意識的に半眼し続けることは非常に大変です。皆さんも3分もやってみればわかります。

目を開けているか、もしくはつぶっているほうがはるかに楽です。半眼はとても疲れます。(ただし、もしかすると素人だけが疲れるのかもしれませんが・・・)

では、何故に半眼なのでしょうか?

その理由として考えられることは目を大きく開けていると恐怖感を与えてしまうから。

また、目をつぶってしまうと民が仏との心の結びつきを弱く感じてしまうからかな?・・・

そのため、半眼にすることにより民は仏が自分らの心の中を優しく見つめてくれていると感じられるからなのでしょうか。

仏に祈りをささげるときに、『仏はあなたのことはすべてがわかっているのだよ。』と言わんばかりに、その安らかな微笑と半眼を通し、私たちにその声を伝えているのではないかな?などと、私は思っています。

皆さんはどう思いますか?

日本人として生まれながらこういったことを知らないことに恥ずかしさを感じます。

知っておられる方は、是非教えてください。

初詣。

2008.01.04

2008年を迎えました。

新年、明けましておめでとうございます。
今年も皆さんにとって、すばらしい年となることをお祈りしております。

さて、皆様はどこに初詣に行かれましたか?

私は毎年同じなのですが家の近くの港区泉岳寺に行きました。

「そこで、何をお願いしたか?」って

それは商売繁盛に決まっているでしょう。と思われるかもしれませんが、実は私の気持ちに一番はじめに沸き起きてきたことは、自分で言うのも恥ずかしいのですが「世界平和」でした。

それは年末の海外ニュースを見ていると悲劇のニュースばかり。アルカイダの爆弾により17人の子供が負傷。すでに今年になってから2,000人以上の被害者が出ているとのこと。

また、ルーマニアでは戦争の傷跡として孤児が増えているそうです。親は子供をすてて海外に出て行ってしまった。残された子供たちは寒さから逃れるためにボイラー管が通っているコンクリートのマンホールの隙間にもぐりこみで生活。苦しさを忘れるためにシンナーを吸う毎日。うつろな眼がカメラをじっと見つめ・・・。

こんな悲惨なニュースを流していました。

これらの子供たちには何を楽しみにして生きていくのでしょうか?

「何のために生きるのか」も考えたところで彼らにとっては意味のないことなのです。こんな時間を過ごさせることは私たち大人の最大の罪です。

子供らにはなんら責任はありません。こうした社会を作り出した大人はなんとひどい人たちなのでしょうか。

地雷で足や手を失った子供たち。「あっ、変なものが道に落ちている。」それに触れたとたんに爆発。その日から彼女の人生は変わりました。もはや両足がない。ぼーっと何かを見つめる少女。

この年になって子供のかわいさほど尊いものはないと感じています。

何にも染まっていない純な考え。
子供らしい無邪気な行動。
一生懸命走る姿。
知らないものへの絶え間ない関心。
キラキラ輝く眼。

本当にかわいいと心の底から思っています。

今までもかわいいと思っていましたが、最近は特にその気持ちが強くなってきたようです。

ですから、前述したような事実は私にとって実に衝撃的でした。

こんなかわいい子供たちに不幸を与えてはいけない。そんな世界にしてはいけないと心の底から思っています。

自分がこれに対し何が出来るかはわかりませんが、出来ることは何でもさせてもらいたい。

本当に日本は幸せな国です。

我々、大人はこれを永遠に守っていかねばなりません。

経済思考の強い日本ですが、経済のことばかりでなくもっと世界を見てもらいたいです。

世界では毎日悲惨なことが起きています。

私たちはもっと現実の世界をしっかりと見つめ平和の尊さを真剣に考えていかねばならないと思いながら手を合わせた初詣でした。

倫理観。

2007.12.28

今年の日本を一言で述べるとしたら漢字は何?

これは「偽」でしたね。

実に的を得ていた。秋以降だけでも経済では「船場吉兆」、政治では「年金の加入期間問題」、行政では「守屋前防衛事務次官」等々、「何を信じたらよいの?」ということを感じさせられた一年であった。

つまり、これは倫理観(倫理規定を誠実に守る)がなくなってきたということなのだろう。これは恐ろしいことです。

ビジネス界においても競争を生き抜きぬくためには、その会社の方向を前提として確固たる信条がなければないはずだ。

それは「○○を目指す」とか、「○○は絶対に行わない」とかいったようなことでよい。

トップがそれを掲げ、突き進む、そして社員全員がそれを深く信じ、誠実にこれを実行していくことが会社の力となると私は信じている。

そして、その倫理観が高ければ高いほど、その意義は高くなることであろう。それはどんなことが起きても自分たちは間違っていない!正しいことを行っている!といった自信に満ちた答えが出来るからだ。

だからこそ、会社にやる気が満ちあふれ、仕事のスピードもアップする。こうした環境が出来れば、この倫理観に従わぬものは脱落していくことにもなってくる。

また、これだけ世に色々な商品があちらこちらで宣伝されてくれば、ますます、その倫理観は重要性を増してくる。

消費者も、その企業の姿勢に賛同して商品を求めていくであろうし、一方企業側へはその高い企業理念に引かれて優秀な人材が集まってくるはずだ。友は類を呼ぶがごとく、優秀なものは優秀なものを導き、さらに組織力が高まってくるわけだ。

だからこそ、こういった高い倫理観を掲げる会社には事業方針にぶれがない。

つまり社員全員がいつも正しいことをしているというプライドと確信があるので、顧客とも、いつも良好な関係を持ち続けることが出来る。また、何か新たな事を起こす時も一貫したモラルが徹底しているために間違った方向へ会社が向かうことはない。

このことが顧客に安心感を持たせ、強いては、その会社のCIが確立してくると、私は考える。

「日本人は頭がいい。」と昔はいわれていたが、昨年の高校生の学力テストでは無残な結果。
アジアやスカンジナビアの国々に負けている。あの昔の栄光はどこに行ったのか?ましてや、「ペテン」といえる偽りがすべての分野で頻繁におきている。

頭で負けて倫理観で負けたら日本は終わりだ。

そんな日本になることはないと信じているが、世界に誇れる日本を創るためにも若者たちには人間社会でもっとも崇高な倫理観を忘れないでもらいたいと願っている。

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