ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

メタボのウエスト基準に疑問あり。

2008.02.01

ズボンを買おうと思い紳士服の売り場に行きました。

ズボンがウエストサイズごとに分けて、きれいに吊るしてあります。

自分のウエストは82cm。

でも、圧倒的に数が多いのは85cm以上。

つまり、男性の多くは85cm以上だから、これだけ品揃えしているわけです。

でも、ここである事柄が頭を横切ります。

「あれ!?、メタボの基準はウエストが85cm以上ではなかったかな?」と。

つまり、これに従うと男性のほとんどがメタボと言うことになります。そうなるとこの85cmという基準はおかしいのではないのか?と思ってきますよね。

そこで皆さん、この85cmの基準を知っていますか?

この基準は、「内臓脂肪が面積100平方センチの男女100人の腹部の平均値が、男性は85cm、女性は90cm以上」 であったことから日本肥満学会が2000年にまとめ、他の学会と協議の上、日本内科学会が2005年に公表したものなのです。

でも、腹部の大きさは身長や年齢や人種によっても分かれるでしょうから。

『本当にこれでいいの?』と、私は思いますね。

つまり、お相撲さんは全て85cm以上だから、あと血糖、血圧、高脂血症のいずれか2項目の基準値に抵触すればメタボ対象者に当たるわけ?

なんとなくおかしく感じるけど・・・

インフルエンザの正体。

2008.01.25

昨年末、この冬はインフルエンザが流行すると予想されてましたが、その予想は当たっていたようですね。

私の友人を見ても、数人が昨年かかってしまいました。でも、今のところ私は予防接種のおかげもあってか、かからずにすんでいます。

今年のものはAソ連型と言われるものですが、ソ連が崩壊した今その名が残っているのもなんとも表現しがたいものですね。

さて、このインフルエンザはウイルスによって感染します。

でも「ウイルス」って、言われてもよくわからないですよね。「ウイルス」と「細菌」とを混同している方もおられるので、一口知識として覚えておいてください。

まず、ウイルスと細菌は根本的に違います。

どちらが手ごわいかというとウイルスです。

細菌は外部より栄養を取り入れてエネルギーを作り生きている単細胞生物で大きさや形もさまざまで、栄養・温度・湿度などが整えば増えていきます。ですから、逆を言えばその生命活動を遮断することにより殺すことが確実にできます。これに当たるのが抗生物質です。

一方、ウイルスとはラテン語の「毒」いう言葉が語源となっていて、生命体ではありません。

遺伝物質がたんぱく質の殻をかぶっただけの単純な構造のもので、それ自体に生命活動がない。つまり生命活動がないために自分自身の力で増えることはできないのです。ですから、生きた細胞に入り込んでそこに寄生し乗っ取っていく。乗っ取られた細胞は本来の機能を失い病気という症状がでるわけです。

インフルエンザ対策として有効なものにワクチンがありますが、インフルエンザは次々にこのワクチンに対抗して変化してくる非常にやっかいなウイルスなのです。

このため、一般に特定のウイルスに感染して回復すると体にはそのウイルスに対する抗体ができ、二度と感染しないのが普通です。

しかし、インフルエンザはこの点が違うのです。何度もかかるのはウイルス側が生き延びるために遺伝子の配列を少しずつ変え、免疫の網の目をくぐりぬけようとするタイプのウィルスだからなのです。

また、ワクチンの製造には6ヶ月間を要するため、毎年6月にはその年の末期に起きるインフルエンザの型を予想して製造にかかるわけですが、万一この型予想が外れると、完成したワクチンでは効かないということもありえるのです。

でも予想は外れることが少ないのでご心配なく。

小さな命を救う医師の姿。

2008.01.18

先日、「小さな命を救う」という番組がやっていました。

医療の遅れた発展途上国での日本人医師の活躍を知らせるドキュメンタリー番組。

場所は、アフリカのスーダン。主人公は現在65歳。スーダンに来て15年。自分の財産8,000万円を出して、現地の人が払えるような安い金額で診断できる病院を作った医師の話である。

彼を補佐するのはすべて現地の看護学校を出た現地人たち。手術のアシストも彼らが行う。しかし、手術の最中でさえ医師の言葉に適切に反応しない。医師は苛立ち、大きな

声を上げる。

でも、これが現実。

医師のうわさを聞いて遠くから何十時間とかけて病気の子供を抱いてくる母。
ここまでひどくなる前に来るべきだったと思わせるほど病気の症状が悪化した患者。
ここにくる患者の内容は種々雑多だ。

まさにオールマイティーでないと、これらの患者に対応できない。
だからこそ彼は50歳まで日本で技術と経験を積んだのであろうと思った。

彼は、嘆く。

もっと病院施設が整っていればもっと難しい手術もできるのだが、ここではできない。街の病院へ行くように進めるが、お金もないと患者はそれを断る。
でも自分にはどうしようもない。
やるせなさが走る。

自分は手術をする実力も知識もあり、しっかりしたアドバイスもできるのにそれができない。そうしてこの子はやがて死んでいく。

本当につらい立場である。

そういった彼の妻も6年目に原因のわからぬまま高熱が続きなくなったとの事。家には妻を葬った墓地がある。

彼は毎日ここに来るという。

そしてその時間が一番落ちつくときという。

ふと、その墓の横を見ると小さなスペースがある。
これは彼がこの地に骨をうずめることを意味しているのであろう。

絶え間なく訪れてくる患者たち。彼には休む時間がない。ほとんど流動食で食事を済ませ、次の患者の診察に取り組んでいる。まさに24時間体制の仕事詰めだ。(自宅は病院の近くにあり、緊急の場合にはすぐに病院にいけるようにしている)

今度は足に交通事故で大傷をおった青年が入ってきた。

現地の病院で手術を受けたが、手当てが悪く、縫ったところから肉が腐ってきている。彼は命を救うためには切断を決行。見たととたんに決断である。

つまり、できることはこれしかないとはっきりしているのである。

自分が今の設備でできる全てを考え、つらい気持ちを打ち消し、現実を直視してすべて決定している姿に心が引かれた。

この地で頼れるのは自分ひとり。
相談する相手はいない。
孤独との戦い。
死と時間とのの戦い。

最近、日本では過疎地での医師が非常に不足していることが深刻である。

医療技術をUPしたい、都会のほうがいい、他の科の患者まで診れる自信がないなど、いろいろな理由があるようだ。

でも一度、誰も知らない遠い地で一生懸命「人の命を助ける」活動をしている医師の姿を、医師を目指す若い人に見てもらいたいものだ。

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