ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

伝わればいいじゃないか。

2008.07.25

韓国の人も、中国の若者も、自信を持って英語を話す人が増えています。

自信なさそうに話すのは日本人だけと思っていたら・・・

先週、町を歩いていると「教育に関するアンケート」を受けました。

すでに書かれた内容には、英語の幼稚園を増やして欲しいなどと言った、子供の時からの教育制度を整えてくれといった項目が多くありました。

私は、「少し違うのではないかな?」と思っています。

英語を話さなければならない状況を考えてみると。

相手は少なくとも英語のわかる人。

ですから、こちらが少し変な英語をしゃべっても、相手は解ってくれるはずです。

まずは、自分の言いたいことを伝えることが大事と思っています。

つまり、伝えたいという気持ちが大事なのです。

そこには流暢さなどは関係ない。

動詞の現在形や過去形なども関係ありません。

単語を少し間違っても相手は解ってくれるはずです。

解らなければ、相手は「君の言いたいことは○○○ということだね。」とわかりやすい英語に変更して聞き返してくれるはずです。

でも、今の英語教育では文法重視の傾向がありますよね。

これは受験があるためなのでしょうが、これは「覚える教育」ですよね。

言葉は覚えるというよりも創りだすもの。

子供が2歳ほどになって始めて話し出すときは文法など関係ないですよね。

やはりこれが大事と思います。

単に自分の意思を伝えたいだけなんですから、大人もこの方法でいいのではないかな。と思っています。

英語は単にコミュニケーションとしてのひとつの手段。

別に、ヒラリー女史やオバマ氏のような講演をするわけではないのですから・・・

屋台。

2008.07.18

「東南アジアの食事」と言えば、すぐに思い浮かぶのは屋台。

日本ではラーメン・おでんがポピュラーですがタイでは何でもある。

小さなリヤカーをベースに屋台を作り上げている。

麺もあれば定食、チャーハンまで作ってくれる。

言葉ができなくても大丈夫。

屋台に置いてある食材(卵・野菜・肉・シーフード)と調味料を指差して、ジェスチャーで横のガスコンロでフライパンをゆすっている真似をすれば、ほぼ自分の予想する料理を作ってくれる。

タイではご飯をつけて35バーツ(110円)と格安。味もいい。

ただし、屋台で出される水は飲んではダメ。

水はペットボトル。

なお、辛さは現地水準なので、これは日本人にとってかなり辛く感じるはず。

料理の際は「辛子の量を少し」といったジェスチャーも必要だ。

ジェスチャーはどこに言っても世界共通の言語だ。

とかく、旅行会社の人は「屋台での食事は止めましょう。」と100%安全な話しかしないが、彼らの仕事上の立場もわかるものの、私としては度々おなかを壊すことはないと思っている。

すでに私も10年間、タイを頻繁に往復しながら屋台での食事を楽しんでいるが、一度もおなかを壊したことはない。

ですから、ぜひ!皆さんにも屋台での食事を勧めたい。

これぞまさしく現地への溶け込み第一歩だ!!

動かなければ事は始まらない。

2008.07.11

最近、渡辺純一さんの「鈍感力」といった本がありましたね。

世の中には何かをするに当たって、

しっかりと調べないと事に当たれない人
あるいは心配事があるとすぐやめる人
みなが賛成してくれないと実行しない人

といったようにいろいろな人がいます。

また、逆のタイプで、周りの事がまったく気にならない(気がつかない?)といった鈍感力を持つ人もいます。

こういう人たちにとっては周りのことは一切お構いなし。

自分が決めた事をするだけといった自己中心的な人もいます。

ほんとに世の中は面白いです。

この鈍感力という本が出たのも、ストレスとなる原因をまともに受けていたらおかしくなってしまう。

だからこそ、そういった原因を少しは鈍感になる事によって人生を楽しく生きようよ。と言ったメッセージを作者は伝えたかったのでしょう。

とかく、世の中を生きていくためには「鈍感ではダメだ!」と言われます。

ビジネス社会においても社会の動きが読めなければ成功しないなどと、能力の面にだけ絞ってみても頭のよさや先見性などが述べられます。

でも、これらが優れていても成功するとは限りません。

つまり、これでは完全ではないのす。

完全と思っていたのに、やはりマイナスがあったのです。

たとえば、完全にやりすぎたために「チャンスを失った、お金がかかりすぎてしまった」などといったことがいい例でしょう。

細かく、丁寧にやりすぎてしまったために起きた現象です。(でも、凡人にはそこまで詳細に詰められないのですが、優秀な人にはいい加減に事を進めることはできないといった例です)

いつも思うことは、「完全」とはいったい何かな?ということです。(言葉を変えると「絶対的なものとは」といったことでしょうか?)

何をするに際しても、1つといったことはありませんよね。

生があれば必ず死がある。
山に登れば下山しなければならない。
息を吸えば吐かなくてはいけない。

何事もある現象がおきれば逆の現象がおきる。物理でいえば「作用・反作用の法則」のようなものですね。

ですから、事を起こせば、必ずよき事と思っていても・・・
悪いと感じる人・被害を被る人もでてくるわけです。

このマイナス現象を起こさないようにするとすればどうすればよいのでしょうか?

何もしないことでしょうか。

それは違います。

これでもマイナスが出ているのです。

自分は本当は○○が出来るのに、何もしないと言うことは、社会に貢献していない、あるいは自分の能力を無駄に捨てている、人生を無駄に過ごしているということになりますよね。

ですから、世の中には常に「ゼロ」と言うことはないように感じるのです。

ゼロという世界はプラスとマイナスの世界が作りだすものと思うのです。

互いに、相手を打ち消しあって、ゼロという世界がはじめて生まれるのでしょう。

では、「万事はプラスから始まるのかマイナスから始まるのか?」ですが、私は間違いなくプラスから始まると思います。

どのようなマイナスが起きたとしても、大きな視点で考えていくと間違いなく、「これは、以前にプラス行動をしたことがあったため」と思っています。

だからこそ、マイナス現象がおきたのだと私は信じています。

でも、ひとつだけマイナスの現象は起こらないものがあります???

それは「時の流れ」

時間のエネルギーに勝るものはこの世にはない、「時間こそが絶対的なもの」というのが私の概念なのです。

見えないものが、一番大きなエネルギーをもっているのでしょう。

ですから、何事も動かなければ事が進まない。

動かなければ、すぐにこの見えないエネルギーに負けてしまうと思うのです。

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