ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

アルツハイマーは誰にでもやってくる。

2008.09.26

先月、あの「鉄の女」と呼ばれたイギリスのサッチャー元首相が認知症を患っていることが明らかになりました。

若い方の中にはサッチャー女史という名前は聞いたことはあるけど、その方のなさったことは知らないという人も多いいのではないでしょうか?

ニックネームのごとく強い信念のもとに大胆な政策を実行、イギリス経済をよみがえらせた強い女性であり、フォークランド紛争おいては一早く軍事行動をとり、自由を尊重するイギリス、勇敢なイギリスを世界に見せしめた方です。

首相退任後にサッチャー回顧録も出版され、世界の政治家の中にも多くの方が自分の愛読書としておられるようです。

そういったサッチャー女史がアルツハイマーになるとはなんと悲しいことでしょか・・・

自分が現役時代に実行されたことを忘れるほどまでに、現在は記憶が落ちておられるようです。

アルツハイマーというと、ロナルドレーガン元アメリカ大統領、バックトゥーザフィチャーのマイケル・J・フォックスなどが思い浮かびますが、有名な方も多くかかっているようです。

そのサッチャー女史も82歳。

歳を考えれば物忘れなどが出てきてもおかしくはない年齢かも知れませんが、内容はもっと深刻で実にさびしいです。

アルツハイマーは脳の障害を伴う病気で認知障害症ですが、最近は女性ホルモンが関与していると言われています。

残念ながら、その原因ははっきりと解き明かされていませんし、予防に関してもまだ充分なものがないようです。

ですから、私たちも何とかこの病気にならないようにと祈るしかありません。

自分以外にも、お父さん・お母さんもかからないでねと・・・

でも、実際は多くの方がこれにかかっています。

現実、私の周りにも両親のボケが始まり、子供である自分を認識できなくなり、会っても名前すらわからないといった悲しみを持った友人が多くなりだしました。

確かにアルツハイマーは、加齢からくる疾病なのでしょうが。なってしまった時はそれを周りは受け入れるしかありません。

確かに、我々は記憶の亡くなった人を別人と考える傾向があります。

何を言ってもわからないし、話していてもその顔や姿を見るたびに寂しさが募るばかりですから、こうして考えるほうが気持ち的に楽なのかもしれません。

でも、つらいとばっかりは言ってはいられません。

ここで思考をチェンジせねばなりません。

それは自分からは決して楽しかった、幸せだった頃のあの昔の思い出がなくなることはないからです。

この思い出を作ってくれたことに感謝する気持ちを大事にしたいです。

ただ、この思いを今の疾病状態と比べるからこそつらいのです。

もっとつらいのは間違いなく当事者なのですから・・・

ですから、サッチャー女史もたとえ病気になったにしても、考え方は変わることはありません。

実に歴代において素晴らしい首相であり、その功績は永遠に変わらない事実なのだから。

私にとっていつまでも世界を代表する「鉄の女」なのです。

サッチャー女史、ありがとう。頑張ってください。

事故米問題。

2008.09.19

この問題が起きたとき、

「あれほど、食品事件が起きていたのに。今度は日本人の主食の米にまで問題が起きたのか?」

と、思いました。

農水省は、事故米のことを、保管中にかびの発生、水濡れ等の被害を受けたもの、又は基準値を超える残留農薬等が検出されたものであり、工業用(のりの原料など)であれば使うことをみとめている米であるとして事件発覚時に発表していました。

しかし、その事故米問題が予想以上に食用として市場に出回り大きな問題になってくると意見は一転。

「食べても健康には大きな問題がない」と発言し始めました。

先週には、大臣までが「さほどドタバタする事ではない。」などといった発言もありました。

「農水省は今回の問題をどのように受け止めているのか!」とマスコミに叩かれ始めています。

当然のことですね。

身体に良くないからこそ食用とすることは認めなかったのですから、これが口に入れば「問題となる」といったことは当然ではないですか?

それを、なぜ?「問題はない」と公言するのか全く理解ができませんでした。

そうであるならば、初めから事故米などは定義せずに、「少し品質の悪い米」といった定義付けをしておけばいいではないですか?

でも、これができなかったわけでしょう。

つまり、食べると身体に悪い米であるからではないですか。

まさに、事故が大きくなると恐ろしくなって、意見をコロッとかえる役人の態度にムッときた私です。

以前の中国ギョウザ問題のように日本は海外にも『食に対する検査』は厳しい姿を見せている中、お粗末な責任感のない役人の態度に怒りを感じます。

さんま祭り in 目黒。

2008.09.12

9月となれば「さんまだ!」と言う事で、
9月になって、さんまを2回食べている私です。

そうした中、先週日曜日に目黒で「さんま祭り」がありました。

今年で13回目のさんま祭り。

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私は始めて行ってきました。

なぜ、「東京都の目黒が何でさんまなのか?」って?

不思議ですよね。

それはこういったことから来ているようです。

昔、大名が目黒に来たときお腹がへって農家でさんまを食べた。
するとそのさんまがとても美味しくて忘れることができなかった。
そうした折、違う所でさんまを食べる機会を得た。
そこでは、さんまの脂抜きをしてご膳を出してくれたそうな。
すると、それは自分が夢にまで見るあのさんまの味とは大違い。
そこで大名は「さんまは、やはり目黒やな・・・。」

といったことから目黒といえばさんまとなったそうです。

さんま祭りは、目黒駅の目黒通り沿いで行われ、焼きさんまが無料で配られました。

何匹のさんまが出されたかというと6000匹!!

岩手県宮古市からの無料提供だそうです。

すごいですね。

そして、薬味の「すだち」は徳島から、そして大根おろし(大根)は栃木県塩原市からの無償提供。

「皆ができることは応援するぞ!がんがれよ!」
といったエネルギーが伝わってきます。

とても気持ちがいいです。

祭り時間は10時から15時まで。私は11時半ごろに着きました。

この日は天気もよく、すでにさんまを目指して長蛇の列。

こんなに並んでいるとは思いませんでした。

5列縦隊で500メ−トルほど列ができていました。

さんまは大きな金網に上で炭焼きされ、一回の金網で焼ける数は40匹ほどだったかな。

これが4網ほど出ていましたが、人気があってとても焼くのが追いつきません。

もし、この長い列に並べば、さんまにありつくまでに1時間から1時間半は待たなければいけなかったでしょう。

また天気も良かったために汗ダクダクになる上に、さんまをもらう所まで来ると煙でモウモウ。

体中にさんまの匂いをまとうといった状態でしょうか。

まあ、祭りですからこういった経験もいいのかもしれませんが。

女性にとってUVは最大の敵。

1時間以上、炎天下の中を並ぶの絶対にいやでしょうが。

食べるためには仕方がありません。

私は、日焼けがいやな上に、食事のために並ぶのは大嫌いなこともあって。

その日、暑さを逃れ、、、

近くのさんま定食を出していた食堂に入った次第です。

皆さん、来年はぜひ行って見てください。

町中が「まさに、おいしい『さんま』食べていってよ!」と言った江戸の心を感じれて良かったですよ。

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