ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

おいしく食べるには、やはりタイミング

2017.11.13

先週はタイでした。羽田から午前10時半の便でタイに向かったのですが、朝食を取らずに早めに空港に来たのでパスポートコントロールを終えた後にサテライトに向かう途中で軽食を取っていました。

すると、私の横のテーブルに外国人の夫妻がやってきました。

夫妻は荷物をテーブルにおいて席を確保した後、食事を注文にいきました。しばらくして、奥さんだけがラーメンにゆで卵を2つ入れ、小さなラーメンどんぶりを1つプレートの上に載せて戻ってきました。でも、ご主人は一緒ではありません。この為、このご婦人は主人が戻ってくるまで、ラーメンには手をつけずに席に座りスマートホンをずっといじくりながら待っていました。

私はそばにいたこともあって「そんなにラーメンを置いていたら伸びてしまうだろうに・・・・、早く食べればいいのに・・・」と思っていました。

15分ほどして、ご主人がやっと戻ってきました。

ご婦人はすぐに自分の分を小さなボールに取り分け、ラーメン丼をご主人に戻しました。早速、ご主人は上手に割り箸を使ってラーメンを食べ始めたのですが、何度も麵をどんぶりの中でひっくり返しています。多分、ラーメンにスープがからんでなかったからでしょう。

私は「ラーメンが伸びきって太くなっているから、これではおいしくないであろうに?」と思いながら少し様子を見ていました。すると、麵にはスープがまとわりついているような感じはなく、すっかり麵が太くなっているようです。すると、ご主人はそのどんぶりを奥さんに返して、何か言いだしました。

「これはおいしくないよ!もういらない!」と話しているのだろう。と、私は想像しました。

でも、そうではなかったのです。

では、何が起きたかというと、ご婦人はすぐにそのどんぶりを売り場のカウウンターに持っていき、スタッフに何か言いだしました。

もちろん、私は遠く離れているので何を言っているかはわかりません。(これはおいしくないから、お金を返してくださいと言っているのかもしれませんし、一方では店のスタッフも外国語で彼女が何を言いたいのか理解できなかったかもしれませんがね?)

見ているとカウンターで彼女はそのラーメンどんぶりにスープを注いでいましたから、スープを要求したのでしょうか?

しかし、これって日本人であれば絶対にしない行動でしょうね。

こんなに麵が伸びている状態でスープを入れても、これでは全くおいしくないですからね。おそらく日本人ではカウンターに行くことなく、そのまま食べ残すことになるのではないでしょうか。

でも、この奥さんはこれで満足したような顔でテーブルに戻ってきましたし、ご主人もそれをガツガツと食べていましたから、それはそれでいいのですが、なんだか日本を去る最後のラーメンとしては、これでは気の毒に思いましたね。

でも、ラーメン店が決して悪いのではなく、これはラーメンの食べ方というものを知らなかった夫妻の原因なのですからね。

今回はお客さんが外国人ですから仕方がない事です。日本人として、日本を訪ずれた夫婦には、おいしいラーメンを食べて帰国してもらいたかったです。

一方、なぜ、カウンターにラーメンスープの入った大きな鍋が置いてあったのでしょうか。こういった彼女のようなクレームが外国人から多くあるからでしょうかね?

診断書

2017.11.03

今週は2回も病院も行きました。1件は定期的に通っているためですが、もう1件は過激な運動で関節を痛めたためです。

やはり、いくら楽しくても無理してはいけませんね。

そういったことで待合室で待っている間、掲示板の「お知らせ」を見ていたら、診断書の料金が掲載されていました。

これを見てビックリしました!

診断書のというのは3,000円ほどと思っていたら5,000円もするのですね。

さらに障害に関する診断書は10,000円です。重度の障害や後遺症などの診断書については16,000円以上もあります。

掲示板に載っていることから想像して、診断書をもらうのにこんなにもお金がかかるものとは思っていない患者が多くおられるからなのでしょうかね?

実際、多くの方が「一般的には書く時間もさほどかからず1枚から2枚ほどの診断書に、何故これほどまでにお金がかかるのだ!」と思うのは同然のことです。

庶民にしてみれば「こんな簡単な作業でこれほどまでのお金を取るから医者は金持ちなのだ」といった思いがさらに増しますよね。

実際、考えてみれば10,000円というのは、アルバイト料金で換算すれば約10時間ですからね。

医者として記載内容に責任を持たなければいけないのは理解できるのですが、それでもそこまでの高額な料金を取る必要があるのか?

やはり私としては疑問がありますね。

皆さんはどうですか?

覚えるよりも忘れること

2017.10.27

サプリメントの開発をしながら思う事は、やはり「痴呆症」に対して何かお手伝いできないかということです。

以前にも書いたように、人の記憶というのはその方の宝です。

それもかけがえのない宝です。

そして、その価値はその人にしかわかりません。

また、どれほどの量あるのかも自分にも他の人にもわかりません。

そういったかけがいのない宝を、病のために失ってしまうのは何とも言えない悲しさがあります。

痴呆症の場合は最近の出来事や、今さっきやった直前の行動を覚えていませんが、過去の記憶はしっかりと残っていることがあります。

それも概して嫌な事を覚えているようですが、これは忘れてもらっていい事かもしれませんね。

このように「記憶」というととかく、覚えておく方がよいように思われますが、私はむしろ覚えておくことよりも、忘れる方が今の世の中(ストレス社会)ではよいのではないのかと思ったりもしています。

無論、絶対に覚えておかなければいけないことは人間として「借金、人を傷つける行為、そして人からの援助」です。

あとは極端な話、忘れてもいいかもしれません。

私は会議などで記憶しておかねばならないことは、社員にそれを覚えておいてもらうようにします。

無論、社長として覚えておかねばならないことは、しっかりと覚えておきます。

また自分の生活においても忘れる事をとても大事にしています。

特に悪い出来事にはそうするようにしています。

ただし、その出来事が将来に価値を生むような事であれば覚えておきますが、それ以外は忘れるように心掛けています。

特に人に騙されたり、裏切られたりした時には一生懸命忘れるようにします。

それは、いつまでも、相手方に恨みをもったりすると、自分が腐っていくと考えているからです。

そして自分に言い聞かせます。

「そのように恨んでばっかりいると体がどんどん腐るぞ。そして臭い体臭が出だすぞ!何故、お前は相手の事を恨むことによって、自分の体を腐らせてしまうのだ。そんなことはもったいないではないか。自分の事でなく他人の事を考えることで自分の体を腐らすのはもうよしなさい!一刻も早く。 また、人というものは非常に弱い生き物だ。今回嫌な事が前に起きたのは相手が自分を守りたくておこしたのだろう・・・。まあ、許さなくてもいいから、その事は早く忘れろ。楽しく過ごしても1日、恨みを持っても1日。同じ一日を過ごすなら、やはり、楽しく過ごそうではないか。」

まぁこういった具合に考え、嫌な事は忘れるように努力しています。

そしてだまされたりした自分に対しても、嫌になることもありません。

自分には「それがお前なのだ。加藤裕彦だよ。今回の件で人に迷惑を与えたわけではないのだからよかったではないか。」といったように言い聞かせています。

過ぎ去ったことを考えるより、明日の事、未來の事を考え自分を励まします。

そのように私が考えるのは自分自身をとても好きだからだと思っています。

私は自分が好きでないと人生は楽しくないと思います。

もし皆さんがくじけることや、憤慨した時などあった時は、前述のように考えてみてください。

きっと気分が変わると思いますよ。

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