ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

群集心理

2009.07.17

今、政界がバタバタしていますね。     

与党も野党も麻生おろしで一生懸命。

でも、ちょっとニュアンスはちがいますね。

野党は麻生総理をそのままの状態にして、自民党を表に強く打ち出し総選挙に向かいたい。

一方、自民党側は麻生総理の下ではとても総選挙には勝てない。

早く彼に辞めてもらい自民党のイメージを変えなければと思っているようですが、代わりの党首となる人の顔が見えてこない。

政治家は選挙で当選すれば誰もが頭を下げてくれる議員の立場になれますが、落選すればタダの人。

あるいはもっとひどいかも・・・・。

「ひどい」というのは職を失ったからといっていまさら転職など出来ませんよね。

実際、今まで議員であった人をどこの会社が雇うでしょうか?

雇う側としても手をこまねいてしまいますよね。

つまり、彼らにとっての行き場は政治の場でしかないわけです。

だからこそ、選挙は戦場そのもので、勝たなければならないのです。

8月末には選挙ということがわかっているのなら、急いで地元に帰り選挙活動をしたいというのが多くの議員の気持ちでしょう。

でも、選挙区に帰って今回の件を選挙民になんて話せばいいのでしょうか。

へたな話をしてしまえば、自分は党から見放され、場合によっては無所属立候補をしなければならないような事態に追い込まれるかもしれないといった心配が議員にはあるのでしょう。

でも、私はそれでも良いのではないかと思うのです。

自分の考えを正直に話し、もしこれを中央が聞いてくれるのであれば、あるいはその考えに憤慨や抑制をあたえるのであればその党から離党せざるをえないでしょう。

むしろ、自分の意見を伝えるべき相手は地元有権者の方たちであり、地元有権者の方々がどのように自分を判断してくれるのかといったところがもっとも大事だと思うのです。

そして、自分の考えを100%伝えたのに当選できなかったのであれば、「それは仕方がない。」とあきらめなければいけないのではないでしょうか?

今、党中央ばかりを見て政治活動しても意味がないと思うのです。

また、今回の自民党議員の動き方を見ていて感じるのは、麻生総理の人気が低迷したとたんに一挙に彼を攻め立てているような気がします

しかし、安倍さんの後任として麻生さんを首相に選んだのはあななたたちではないのでしょうか?それもほとんどの賛成を得て・・・。

そのあなたたちが、急にひるがえって「麻生さんは何をやってもダメ。話もめちゃくちゃ」などといいたてるのはいかがかと思います。

日本人ってなんだか皆が悪いと言い出すと、一斉にそれに向かって相手をせめるといった群集心理に非常に左右されやすい人種なのでしょね。

だからこそ、今回のインフルエンザの問題、あるいはアメリカからの牛肉輸入の問題においても余りにも行き過ぎた行動があるように思えて私には仕方がありません。

もっと自分の尺度でしっかりとして考えで行動をしてもらいたいもの

エコ活動は贅沢から生まれた

2009.07.10

最近「エコ」がやたらとテーマになっています。

産業自体がエコを推進することにより、自然を大事にする会社姿勢をアピールしているようにも思われます。

これが、本当に自然を大事にしたいために行っているのか、それとも国からの強制により行っているのか、はたまた会社成長のために行っているのかはわかりませんが、エコ活動は概して良いことだと思っています。

「エコ」を目指すという事で日本企業は大変だと言っていますが、本当にそんなに大変なのかな?と時々思うことがあります。

それは今までの我々の生活が贅沢すぎたので、それをキープしての行動を起こそうとするからなのでしょう。

だから、「企業は国民に対して少し今まで贅沢な部分があったので、この点を改めました。このため、もしかすると皆さんに今までと比べやや不便をかけるかもしれませんが、お許し下さい。しかし、これにより地球に対し、あるいは資源に対し○○といった貢献ができますので」と、いったメッセージを伝えても良いと私は思うのですが。

これこそ、地球人がこの美しい地球を守るために皆で貢献している姿と思うのです。

こうは思うものの、やはり贅沢がしみ込んだ生活はそう簡単には落とせないもの。

なかなか、その考えを皆に納得いただくことは大変な事なのでしょう。

つまり、「エコ」という言葉は贅沢をするからこそ出てきた言葉のように私には感じるのです。

例えば、よくアフリカやアマゾンの原住民生活のTV番組がありますよね。

彼らは食生活で必要以上の食料を取ったり、動物を殺したりしません。

ゴミもほとんど出ることなく、皮はテントや腰巻に使用し、骨は串や矢じりに使用しています。

つまり、資源を無駄なく使っています。

確かに獲物を取るのは大変だから、そうせざる得ないという点はあるのかもしれませんが、神から与えられたこの自然の生き物の命を大事にしているからだと思います。

これが無駄にしないにつながっているのでしょうね。

それに比べ、先進国ではマグロを食べるとなれば(大トロ)(中トロ)(赤身)といったように好きな部分が食べられます。

これはやはり無駄というのではなく、贅沢な行動でしょう。

そして、自分の好きなものを食べてばかりいると食の偏りが起こり病気になる。

一方、いわしを頭から丸ごと一匹食べるとすべての栄養が取れ、栄養バランスがよく健康にも良い。

これってやはり贅沢をせず、無駄を省くことにより起きている食生活行動ですよね。

つまりこの行動そのものがエコの行動ではないのでしょうか。

車を使わずなるべく歩けば排気ガスもなくなりますし、自動車もそれ程、大きなエネルギーを求めないのであれば、多くガソリンを使うこともなく、需要も少なくなり、炭酸ガスの排出量も少なくなるはずです。

つまり車を使わない。

タクシーや自家用車は使わない。

そのかわり皆が公共交通手段を主として使う。

これもエコへの一役ですよね。

「エコへの貢献」ということを考えてみると、案外、簡単な事で必要以上に無駄をしないということに他ならないことではないのかな?

やりすぎると「どけち」や「みすぼらしい」というふうになってしまうから、そこまではする必要ないですが。

我が母校の閉校

2009.07.03

2009年6月28日。

私は卒業した高校へ来ていました。

正門を入って1kmほどのプロムナード。

左右には20m以上に大きく育ったメタセコイアがきれいな緑の葉をつけてそびえたっています。

まさに「冬ソナ」の初夏バージョンといった感じ。

その小枝からこぼれる光を浴びながら私は高校時代を過ごした寮や校舎を見ながら懐かしさを胸にゆっくりカメラ片手に歩いていました。

ここは都立秋川高等学校。

その閉校が今年6月30日に決まり、その地は今後、商業地区として生まれ変わる事となりお別れ式が開催されたのです。

私はこの高校を第7期として卒業、その後34期まで続きました。

その間、三宅島噴火の際は島の小学生から高校生にいたるまで、すべてここで受け入れをおこなった事は世間でも知られている事と思います。

なぜ、高校の話をするかと言うと、この高校は非常に特徴があった高校であり、少しでもその良さを皆さんに知ってもらいたかったからです。

まさに私が熱き青春を送った場所なのです。

さて、この都立秋川高校は東京の西のはずれにあり、1965年に都立の全寮生高校として開校致しました。

海外に住んでいるが日本で教育を受けたいといった者たち、帰国子女、あるいは教育環境が十分でない僻地の者たちのために作られた特殊な学校です。

ですから、入学する者たちも様々。

日本語がうまく話せないもの、一般の日本人とは感覚の違った者たちが日本のみならず世界中から集まりますから、やはり変わった刺激と本当に面白い生活が送る事が出来ました。(但し男子校)

イギリスのパブリックスクールを模範に文武両道を目指し、グランドも3つ。

構内には職員宿舎・保険病棟・700名収容の食堂・50人風呂・テニスコート・体育館・武道館・相撲場・プールと施設とすべてが完備されています。

生徒は全員、運動部に所属することが義務づけられています。

また、学習時間も決められており、毎日19:30から22:00まで机につくことになっています。

しかし、そこは大食家の若者たち。

夕食を食べてもすぐおなかが減ります。

こういう時のために20時から21:30までうどん屋さんが来てくれます。

これを食べに行くことは例外的に許されていましたので、私はお腹がすいたといっては友達を誘い勉強をさぼってよく食べに行ったものです。

朝の6時は起床ラッパ(ラッパといっても私の時代はすでに生から録音にかわっていまいましたが)で起床。

そして、学校を終えても消燈の11時まで、365日3年間団体生活が行われます。

ですから、皆なんでも知っています。

すべて人間性がばれてしまいます。

そして、悲しいこと、つらいこと、そして楽しいことすべて皆で分かち合い、あるいは乗り越えてきました。

親が近くにはいませんからね。

そういった、一般の高校生が体験できないほどの多くの思い出をもった卒業生たちがこの最後の別れに母校に集まったのですから、久々の仲間との再会の喜びの陰に、社会変化にともなうこの閉校はいかんともしがたい悲しみが漂い、つらい気持ちで満ちていました。

閉校セレモニーを終え校旗の降旗とともに歌ったなつかしの寮歌。

校歌は忘れても寮歌は忘れません。

力一杯歌いました。

歌は3番まで歌は続きますが、いかんせん37年前のこと。

すでに一部の歌詞を忘れてしまった私は1番を3回くり返しました。

でも、うれしかったなあ〜。

なつかしい思い出が走馬灯のように浮かぶとともに、悲しみがわきあがってきます。

本当にすごい最高の高校でした。

こんな学校はないというほどの思い出をたくさん創ってくれた学校でした。

まさに私の青春。

入りたくて、入りたくて入った学校でした。

今後もこのような全寮制の学校が出来、子供の性格さえ合えば、是非とも入学させたいと思えるそういった学校が出来たら皆さんも子供たちに教えてあげて下さい。

このページの先頭へ