「自分をよく見せたい」と思うのは人間の本質なのでしょう。
いや、生物の本質なかもしれません。
そこには種の保存といったことが関係しているのでしょうか・・。
さて、前回「今の上海」について少しお伝えしましたが、追記として中国ファッション・オシャレ感について日本との違いを感じたことがありますのでこれを書かせていただきます。
現在、日本ではユニクロを筆頭にカジュアルファッションが勢いづいています。
カジュアルファッション、いわば「普段着」。
その中でもユニクロはおしゃれ感と割安感といった面でリードしています。
そういったファッションの中で忘れてならないのが「気楽」という要素だと思います。
しかし、最近は特にこの「気楽」「周りとの不調和」といった要素だけが大きく胸をはって一人歩きしているような気がします。
着方など気にしない、だらしなくても気にしない、破れたジーンズ・色あせたジーンズといったものがいつ出てきたのでしょうか?
本当にこれらが美しいと思っているのか、オシャレだと皆が思っているのか私にはよく理解できません。
振り返れば、この流れって映画「エデンの東」で一躍脚光を浴びた男優ジェームスディーンに似ているような気がします。
当時はパリッとしたスーツがよく似合うダンディーな男優が人気でした。
そこに今までとは違う弱々しい孤独感のにじみ出た青年が登場し、自分自身のやるせないつらさを世間にぶちまけ、又なんとなく影があり、寂しさが漂う雰囲気が女性の心をつかみました。
やや話が少しずれましたので元に戻しましょう。
このように日本でのおしゃれは「気楽」な面を重要視した形で拡大していますが、私はこれを「本当のおしゃれなのか?」というと、ちょっと違うのではと思っています。
やはり私にとっておしゃれとは「普段とは違う自分を作り出すこと」と思っています。
おしゃれとはやはり、しっかりとドレスアップするような姿。
社交界のパーティーに出るような格好だと思っています。
古い考えかもしれませんが。
しかし、そういったオシャレをする所が日本にはまだまだ少ないために、カジュアルファッションが栄えているのだと今のファション業界を眺めています。
一方、日本以外の国に目を向けると社交といった世界が広く開けています。
特に西欧においてはわが国とは違い、ディオール・エルメス・シャネルといったブランドが世界をリードしてファッションを生み出しています。
実際、今回の上海でも女性のファッションに西洋のブランド品が多かったのもうなずけます。
彼女らにとってはやはり普段の自分を変え、それも大きく変えたいといった気持ちが強いからこそカジュアルファションなどにはファション性を強く感じないのだと思います。(特に高所得者にはそういった傾向があるのでしょう。)
彼女らにとってはカジュアル製品は、たとえ日本ブランドと言っても所詮は中国やベトナム、カンボジアで製造されている普段、自分らがきているものとデザインが違うだけといった感覚しかないのだと思います。
こういった感覚や状況を見ていくとファッションを高めていくにはそれを導く別世界つまりは環境が存在しなくては難しいように思います。
日本のファッションが世界をリードするにはまだ時間がかかるのかも知れませんね