先日、高校の同窓会がありました。わが校は日本ではとても珍しい生徒全員が寮で生活する全寮制の高校でした。
今から50年ほど前にイギリスのパブリックスクールのような学校の設立を日本にも造ろうとの思いから、また帰国子女を受け入れる目的を持ち東京都が創った公立としては始めての学校でした。
敷地は普通の学校の4倍以上、グランドが5つ、700人程が一度に食事できる大食堂、30人が一度に入れる大風呂を持つ浴場、診療・入院病棟、教員住宅といった至りつくせりの施設を完備し三年間、生徒と先生がすべてここで生活します。
しかし、生徒の中には日本語がうまく話せない、日本の生活に慣れない、親と離れてさびしいなどといった理由から当初は240名が入学しますが25%はやめていきます。
私はこういった全寮制の学校に小学生のころからあこがれていたので入学したときはうれしくて、うれしくて仕方がありませんでした。
起床は6時、就寝は22時、風呂の時間は17時から20時まで、それから2時間の学習時間。この学習時間にお腹が減ることもありますので、うどん屋さんが夜来て開店してくれます。
文武両道がモットーですから必ず運動部へ入部することや学校主催の美術鑑賞活動も盛んでした。
2週間に1日の外泊許可、17時までには帰寮といったような規律もあり、こういった中で10代のエネルギーを燃やしました。
同窓会では当時の担当の先生方もおいでくださり、海外からも同友が集まり楽しい同窓会でした。
入学当時も感じましたが、「自分の道を行く」といった意識の人がとても多く、外国育ちが多いためであろうかなどと思ったりしましたが、やはり今回皆にあってみると起業しているものも多く、やはりそういった独立精神を昔から持ったものが多かったのだなと感じました。
先生方も一般の高校とは違い教師である一方、生徒たちを親から預かっていることから日常生活にも気を使い、舎監業務もあったりと、多くの責任を負っておられました。
しかし、この学校も時代と共にこういった生活規律に束縛されることよりも、気ままな自由な生活を選ぶ若者の増加や学校の運営費が一般高校の3倍以上かかるといった都の財政問題により30年ほどで廃校となりました。
その後も三宅島の噴火などで避難した方々の施設などとして使われたりもしましたが、2009年より取り壊しが始まり、現在は複合商業施設が作られるということで更地になっています。
今回は同窓会の前にこのフェンスで囲まれてしまった更地を見学しましたが、やはりさびしいですね。大きな木がポツンポツンと残され、我々の通ったメタセコイアの並木道(両サイドに高さ20mほど、長さ800mほど)のみが残され、これを遠くに見ながら当時のことが走馬灯のように思い浮かんできました。
会食は先生を囲んで行われましたが、先生の言われたことが心に残りました。
「君たちは非常に己というものをもった若者たちであったが、決して自己中心的な者ではなかった。それは自然と皆との共同生活の中で相手のことを考える習慣がついていたからだ。
これは実にすばらしいことだよ。これは秋川高校にいたからこそ創られたのだよ」
「ここに当時食事のときに使ったコップが一つある。単なるプラスチックのコップだ。でも、君たちわかるだろう。これを見ていると色々な思い出が浮かんでくるよな。歴史が見えるよな。コップは何も語らないが君たちにはそれがわかるよな。それこそが君らの宝だ」
「君たちの期は本当に世話を焼かせた生徒であったなあ。問題が起こると私らが君たちを引き取りに、あるいはお詫びを言いに行った。そして、ひたすら謝る。ただ謝る。心から謝る・・・。本当によく謝ったもんだよな・・・・」
「私らは君たちと共に、そしてその後も秋川に勤務、20年近くを過ごした。そして今は80歳を過ぎた。皆も立派になった。私としては今さら教えてあげることはないかもしれない。しかし、歳をとっても招待を受ければ、どこにでも皆の顔を見にいくつもりだ。これが今、私が皆の先生としてあげられることなのだ。みんな、ありがとう」
本当にすばらしい先生方に囲まれた青春時代でした。