ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

支配者・指導者・自由

2011.11.11

先日 大王製紙の前社長(創立者の孫)が会社のお金を個人目的に(主としてカジノ資金といわれています)なんと100億円以上を会社の規定を無視して、借り入れしていたことが
ニュースで報道されました。

報道では「前社長から要求されると経営陣は何も口答えできなかった。ただ応じるだけだった」と、伝えていました。

皆さんはこれを聞いてどう思われたでしょうか?

しかし、なんと経営陣の情けないこと。

大企業を支える経営陣がこういったことでよいのでしょうか。

彼らは経営陣でなく単に経営陣といった名札をつけたサラリーマンということだったわけですね。

会社を守るよりも自分の生活・身分を守ることだけを考えた経営陣であったということです。

しかしながら、なんと言っても社員が気の毒ですね。

自分達が一生懸命働き稼いだお金を、こういったカジノといったいわゆる遊戯賭博に使われていたとなると情けない以上の落胆でしょう。

このような会社に尽くそうなどとは社員だれ一人今後思わないことでしょうし、これを抑え切れなかった現在の経営陣に、これからはついていこうとも思わないことでしょう。

一般サラリーマンにおいて、100億円といったお金は想像がつかない膨大な金額です。

それを湧き水のごとく無謀に使う人が自分の会社のTOP、それも創業者の孫であったとは・・・・。

一方、この前社長(現在47歳)の金銭感覚がわかりません。

何せ、金額は100億円です。

普通の人なら100万円だって大金なのに・・・。

有名大学を出た彼は創業者の孫ということで、多分、会社の役員となった当時は会社を大きくしたいと考えるエネルギーの高い指導者であったことと思います。

そう信じたいです。

しかし、何を間違って会社の指導者から支配者(独裁者)になってしまったのでしょうか?

そこには「会社は何のために、誰のためにあるか?」ということは一つもわかっておらず、こうした人を創業者の孫に生まれた、というだけで社長にした会社に大きな責任があったことは避けられません。

また彼も自分の力量を知らなかったことにも問題がありますね。

この報道を通じて感じることがあります。

何故、人間は支配者になりたいのでしょか?

それは自分が好き勝手に何でも出来るからでしょうか。

周りの人が皆ひれ伏してくれるからでしょうか?

そういった事を、非常に気持ちのいいこととして感じているのでしょうか?

つまり、こういった人たちにとっては「支配」はまさに彼らの「自由」への道ということなのでしょうか・・・・。

でも、私は思います。

支配では決して自由を勝ち得ないと。

自由とは「自分を支配して初めて自由があるのだ」と思っています。

何でも好き勝手に出来ることは自由ではなくて、わがままに他ならないのではないでしょうか。

匂いのある水道水

2011.11.04

先月29日よりバンコクに出張の予定でしたが、大潮と重なりタイの洪水被害が最悪の場合はバンコク街中にも洪水が起こる可能性があると報道されたので急遽取りやめました。

一方、韓国での仕事も忙しくなってきていましたので、できればバンコクの出張は避けたいなと思っていたこともあり時間が作れて助かりました。

また、バンコクにいる友人にも状況を尋ねましたら、やはり「訪問はやめたほうがいいよ。」ということと共に、「今、水問題もおきているよ。政府は水道水は衛生上飲んでも全く問題はないといって言るものの、少しドブ臭い匂いがしてるよ。そして、こういった状態だから、住民はミネラルウォーターを買い求め、今は街にはほとんどないといった状態だよ」という事でした。

実際、バンコクの排水溝やドブはかなり臭く汚いので、それを想像しただけでも、そりゃあ行きたくはないです。

でも、仕事上 バンコクを離れることのできない方々は大変なことと思います。

皆さん、頑張ってくださいね。

そういえば、私もアフリカに住んでいた時、隣の町でコレラが発生したことがありました。

当時、「それなら私の地域にも伝染する可能性があるな。これは気をつけなくてはいけないぞ。日常飲んでいるミネラル水や氷でも感染する可能性があるかもしれない。これは、あぶない!」と思い、ミネラルウォーターといえども煮沸をしっかり行って、暑いアフリカでしたがすべて飲むときはお湯を飲むようにした経験があります。

さて今回のように匂いがするといった場合は煮沸すれば除去できるのでしょうか?

無理なのかな?

やはり活性炭フィルターかな? 

殺菌のために塩素を多く含んだ水を飲むのも大変なものですが、このようにいやな臭いの水を飲むのも大変な事でしょうね。

視覚と聴覚

2011.10.28

先日、人の感覚について調べていたら「視覚の神経数は聴覚の6000倍ほどある」と、いう記事を目にしました。

「なるほど、そのとおり」と、思いましたね。

たとえば「いくら言っても相手は覚えない。同じ事を何度も繰り返し聞いてくる」と、いう人っていますよね。

こういった時「何度同じ事を言わせるの!」と、言いたくなります。

私など同じことを言うのは3回が限度です。

それ以上話さなければ伝わらないような時「この人は理解力が弱い人なんだ・・・」と怒った自分を納得させていましたが、この細胞数の違いを知って改めることにしました。

そもそも、私が言葉で伝えようとしていたことが間違いだったわけですね。

人に教えるには見せる、つまり書いて教えなくてはいけないことを知りました。

でも、目が不自由だというのに難関の弁護士試験にパスする方がおられますよね。

きっと、かなりの努力をしてきたことは想像がつきますが、もしそこに点字といったことによる勉強手段がなかったら6000倍の努力(集中)をして勉強したことに他ならないわけですよね。

これって「努力はどこまでできるのか?」を考えさせられますよね。

このことを知ると「くじけた」とか「もう出来ない」などと言ってはいられませんね。

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