ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

いつも同じと思ってはダメ

2012.08.31

最近は韓国出張が多いので焼き肉を日本ではあまり食べなくなりました。

しかし先日、遠くに住んでいる友人が東京に出張に来るというので、時間があったら夕食でもしようということになり、久しぶりに(1年ぶり位?)私の行きつけの焼肉屋に行きました。

ここの焼肉屋の店主はとても感じがよく、料理も早く出してくれ値段も手ごろ、更に毎日何かしらの品が半額サービスとなっているので、私のお気に入りの店の一つでした。

久々に友人に会ったので、「たまにはちょっと高い肉でも注文しよう」ということで、奮発して特上カルビ4皿と他の肉を3皿。

更にサラダやキムチ・ナムルそしてワインを一本注文しました。

そして、いつものごとく「出てくるまではまずは生ビール」と、いうことで冷たいビールを飲んで待っていますと、注文の肉が出てきました。

しかしここで私の予想に反したことが起きました。

注文したのは特上カルビですから適度に霜降りのはいった柔らかい肉ではあるはずです。

しかし、出てきたのは確かに見事な霜降りではあるのですが、脂の量が多すぎるのです。

赤身がない。

その量たるや脂肪:赤身が4:1といった感じです。

「これでも本当に特上なの?」といった気持になりました。

以前にも祝い事で来た時に同じ肉を食べたのですが、こんなに白くはなく、とてもおいしかったので、今回はなぜこんな肉なのかと店長に聞こうと思いましたが、あいにくその時は店に不在。

たとえ店員に尋ねても、「店長に尋ねないとわからない」と、いった返答になるのでしょうから待たされるだけです。

「それじゃあ仕方がないな。まぁ、おなかも減っているし、まずは食べてみるか・・」と、いうことで肉を網に置き焼きだしました。

しかし、焼けた肉を食べると肉は柔らかいもののあまりにも油っこく、明らかにこれは注文した肉のレベルではないはずです。

私は2枚食べましたが、もうそれ以上は食べたくないといったほどの脂の多さです。(こんなものを食べたら今まで油の摂取をセーブしていたのが全く無駄となってしまいます)

結局、頼んだものすべて出されたのですが、何も食べずにビールとこの肉を2切れ食べてさっさっさと出てきました。

しかし、実にひどい内容の肉であるのに、払った金額はいつもの3倍。

あぁ、なんと馬鹿な私。

久々に入ったのだから一度に頼まなければよかった。

でも、一体どうしてこんな肉がでたのでしょうか?

以前、店長が「最近はお店も客の入りがよくない」と言っていたので、不景気のために肉の質を落としたのだろうか?

それとも、たまたま自分達の注文した肉が脂の多い部分に当たってしまったのであろうか?

あるいは、店長が替わったのかな?などと色々と思いましたが、あれではもう二度と行きたくありません。

せっかく期待して入ったのに実にがっかりでした。

でも、ここで怒っては久々に会った友人との話しにも水を差すことになるので、彼も気持ちがよくないでしょうから、ぐっと我慢です。

「今日は失敗したな」と、一言小言を言って軽く流し、また他の店を探しまわったという、実にお金も時間ももったいない事をしてしまいました。

でも、これはいつも同じだと思っていた自分がいけないのですね。

物事はいつも変化しているのだと思わなくては。

終戦記念日

2012.08.24

毎年8月半ばに訪れる終戦記念日。

そうはいっても、今の若い人たちのほとんどはピンとこないことでしょう。

1945年8月15日、日本は終戦を迎えました。

それから70年近くたった今、戦没者の追悼式にはご家族がわずか25名しか出席されなかったことをニュースで伝えていました。

それほどの年月が経ったわけですね。

実際、ご家族の皆さまのほとんどが80歳を超える高齢でもあり、式の場所がお住まいから遠くであったり、さらにこの猛暑となれば当然のことと思います。

しかし、この戦争では多くの若者の命も失いました。

たとえば特攻隊として、自分の命と引き換えに戦場に向かう彼らは、その時自分の命や日本をどう思ったことでしょうか。

「天皇陛下万歳、日本万歳、お国のために私はここに命を捧げます」この言葉を聞くたびに目頭が熱くなります。

自分の命をかけ戦った若者たちは、この戦争が終わった後、日本にどうなってもらいたいと願っていたのでしょうか?

無論、勝利を願っていたことでしょうが、「大きな国になってもらいたい。」などとは、直感的には思ってはいなかったのではなかろうかと私は思っています。

「勝ってもらいたい」というよりも「一刻も早くこの戦争を終わってもらいたい。そして二度と戦争のない日本にしてもらいたい。家族が安心して生活できる日本であり続けてもらいたい。」というのが一番強い願いではなかったのでしょうか。

つまり、あの戦場下においては「平凡でもいいから、戦争のなかった良き時代に戻ってもらいたい!」としか考えなかったのではないかと思います。

そう思うと、今の日本をもし彼らが見たらどう思うのかな?と思います。

まず日本が豊かで安全に生活できる国になったことを大変喜んでくれるとは思うものの、外交政策に対しては、かなりの怒りを感じるのではないでしょうか?

いかんせん、あの時代においては強い日本の姿しか考えられませんからね。

今の平和な日本がこうしてあるのも、まさにこの戦争に参加してくれた彼らのおかげだと強く思うとともに、我々は世界にしっかりと存在感をもたらすような日本を作り上げているのだろうかといわれると恥ずかしく、更に申し訳なく思います

今の平和な日本を導いてくれた亡き彼らの思いのためにも、我々はもっともっと奮闘しなければならないのです。

話は変わりますが、先日、昨年亡くなった父の書類を整理していた母が、父の学生時代の文書を偶然見つけたので私に持ってきてくれました。

父は帝国海軍の軍人を志望。

終戦当時は海軍兵学校75期生でした。

終戦が告げられ、この学校が閉校になるに際し、校長が生徒に述べたことが書かれた通達文書です。

そこには、お国のために体力があり、頭脳明晰な生徒を持ったことを誇りに思う気持ちと、これからは彼らの熱き夢をかなえることもできず、無念の中で廃校となる辛さ、そして今後は、このたくましき青年らの顔も見られなくなるという寂しさが、端的な言葉の中に含まれていました。

そして何よりも、生徒たちの将来を心配し、とにかく今後は勉学にいそしめと愛情をこめて語っていました。

一緒に同封されていた、セピア色となった校長の写真を見ながら、その一言一言の中に、日本国軍人魂を生徒たちにいつまでも持ち続けてもらいたいとういう願いと、生徒たちへの温かい心の思いの文書には、戦争を終えた時にしかなかなか出ないような言葉をもって書かれており、非常に感銘をうけた次第です。

「歩く」ということはすごいことですね。

2012.08.17

オリンピックを見ていて、人間も早く走れるようになったものだと感じました。

体格が良くなった、栄養が良くなった、走る技術への解析が進んだ、トレーニング方法が進歩したなどと色々な要素があるのでしょうが、すごいものですね。

でも、何となく感じるのですが、大昔の人のほうが今の人よりも、もしかしたら身体機能は優れていたのではないかとも感じるのです。

ただし、人間が2本足で立てるようになり多くの月日がたった時点での話しです。

もっと動物機能が発達していたのではないでしょうか。

まぁ、すぐれていないと命を失いかねないですからね。

ところで、毎日歩いて出勤する私ですが、歩きながら自分の足を見たときにふと感じたことがあります。

人間が二本の足で歩き、それもバランスを取りながら右足が出たら今度は左足がしっかり出て地面をけります。

そして毎回、右、左と足を出すことなどは考えていません。

向いた方向に自動的に足が踏み出される。

実にすばらしい機能ですよね。

いかんせん、自分が意識を持って動かしているわけではないのですから。

それが究極になると、あのオリンピック選手のごとく、超スピードで動きまわることもできるし、ゆっくり動くこともできるのですから。

いや実に人間の体はすごい機能を持っているものだと感じます。

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