ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

中国国営放送

2012.09.21

昨日はバンコクの中華街にある中華料理屋へ一人で行きました。

小さな店ですが私がよく行くところです。

値段はとても安いのですが味は抜群、最高です。

バンコクに行くと必ず行く店の一つとなっています。

行けばオーナーのご主人、そして会計を行っている奥さん、ウエイトレスの人たち、みなさん顔見知りで、いつも笑顔で迎えてくれます。

しかし、今回は少し気まずかったです。

それは料理のことではありません。

国の問題です。

店のお客さんのほぼ95%が中国人で、タイ人もほとんどおらず、ましてや日本人は一人もいません。

そのため、つけているTV番組はほとんどが中国の番組です。

今回は訪れた時間も夕食時であったために、中国国営放送のCCTVがかかっていました。

その内容は尖閣列島に対する日本の行動への抗議内容です。

私は中国語がわかりませんが、一人で店を訪れたこともあり、なんとなくその番組を見つめていました。

放送内容は「日本は不当に尖閣諸島を領土だとして強い行動に出ているので、我々中国は自分達の領土を守るために、武力行使に出なければならないのであろうか?」といった内容で、ゲストを迎えてのインタビュー形式の放送でした。

店のお客はこれをじっと見つめる中、奥さんがテーブルにやって来て首を振りながら「この問題はお互いに困ったことよね・・」と、いった感じのジェスチャーを私にし、私も同じように「本当だよね」と苦悩の顔つきで答えました。

出演したTVのゲストは北朝鮮のニュースキャスターのように強い言葉とともに、手を激しく動かし、指を天に突き立ててコメントしていましたが、私はこの姿を見て「国営TVだから母国支持の強い学者や評論家をあえて選んだのだろうか?」と思ったほどです。

こういった方の話しぶりを見れば、一般中国人は「俺たちは絶対に正しい。日本人は悪者だ!」といった感じがさらに強まることでしょう。

やはりメディアの力は強いので、もっとゲスト選定については考えるべきではないのでしょうか。

過剰なサービス

2012.09.14

今週の新聞に「夫婦間においていやだと感じることは何?」と、いったアンケート結果が載っていました。

1番は「無口なこと」、そして2番は「衣類などを脱ぎっぱなしにすること」だそうです。

確かに本来あるべきところに物が収められていなかったり、物やごみが散らかっていたりするといやですね。

よく理解できる結果です。

そういった記事の載っていた新聞を、ホテルのレストランで朝食を取りながら読んでいました。

朝食はビュッフェ形式でしたので、何回でも好きなものを取りにいくことができます。

お皿にはまだ少し食事が残っていたのですが、席を立ってミルクを取りに行き戻ってみるとお皿がありません。

片付けられてしまっているのです。

まだ皿には4分の1ほど食事が残っていて、ましてや新聞がテーブルの上においてあれば、まだ食事中だと理解できると思うのですが、片付けられています。

これって行き過ぎたサービスですよね。

皿の上にはまだ自分が食べたいものがあったのに・・・

皆さんの中にも海外に行って、こうした経験は何度かあるのではないでしょうか?

でも、ビュッフェですからまた取りに行けばよいのですが、どうも気が進みません。

それは、ユニセフの宣伝ではありませんが、世の中には十分な食事が取れずに毎日おなかを減らしている子供たちが山のようにいるのに、「食べられるものがこうやって自分の意思でなく捨てられてしまったのだから、再び取っても悪くないのだ」と考えるのはどうも許せないのです。

いやなのです。

こういった子供たちのことを考えるとできないのです。

多分、このような事が起こるのは、皿の上に多くの量を残して帰ってしまう人が多いからなのでしょう。

実際、周りを見ると子供が食べきれないほどの量を取ってきて(親が取ってきているのかもしれませんが)たっぷり食べ残しのあるお皿がいくつか見えます。

親もこういった状態を見てなぜ平気なのでしょうか?

私には理解できません。

現在、世界的にエコ社会作りと言っている中に、我々の生活でもマナーやサービスを見直せばすぐにできることが、食事の世界でもたくさんあるように思います。

受精卵の選別

2012.09.07

赤ちゃんがなかなかできなくて、悩む方は私が思っている以上に多いようです。

それを感じたのは本屋にいった時、ある雑誌が「不妊」における特集を出していたからです。

つまり、需要がなければ、出版社はこういった特集をしないでしょうから、意外に多くの方が悩んでいると知ったわけです。

不妊治療の対象には、体外受精といった人工授精による方法がありますが、受精卵は大きな染色体の異常や遺伝性の病気だとわかっていない限り、着床前受精卵検査をおこなってはいけないことになっています。

しかし、最近それを行った医師がいたということで問題になりました。

皆さんはこれをどう思われたでしょうか?

つまり現在の規定は受精卵の生命力までの確認のみであって、問題がなければ医師は着床をし(体に戻すということ)、後の経過は母体に任すといった考え方です。

もし、これで流産した場合は母親の精神的・肉体的ダメージは大きいです。

それが数度も重なればもっとつらいものとなってきます。

そういう意味で母親のことを考えれば受精卵の内容を確認して、着床しやすい受精卵を選別する、つまり着床成功率を高めるためにも良い受精卵を選ぶということは医師として当然のことと考えます。

一方、生命といった点から考えれば、受精できた時点で生命の誕生です。

大きさや時間になどには関係なく新たな人間がこの世に存在したことです。

そのことは生命の尊重といった点を考えますと、人間がその生命の行く手に手を出してよいのだろうかといった問題が起きます。(ただし、確実に染色体の問題などがある場合は除きます)

すべての受精卵が同じ環境におかれ、どの受精卵が無事に成長していくかは、それらがもつ生命力そのものの戦いですのでから、自然の掟だと思うのです。

第三者(つまり医師)の知識と真心により母親のことを思って受精卵が検査(選別)が、されていくことは生命の尊重といった点から、はたして正しいのでしょうか?

両親共に遺伝子に異常のない体なのに子供ができない。何度も流産する。それは何故か?遺伝子の異常が生命の誕生の際にどういうわけか起きるのであれば、それは突然変異というしかありません。

子供を授かりたいという気持ちは、特に女性の場合は自分の体内で子供が育ってくるのですから男性にはわからない喜びがあると思います。

その喜びを奪わないためにも医師として応援できるようにと着床成功率を上げたいといった気持ちはとってもよく理解できます。

しかし、生命が誕生する際にも戦いがあり、また誕生した後においても戦いがあるというように、生命は誕生しようとした時から常に戦いが始まっている事を考えると、やはり、生命の行く手が自然の環境である限りは、第三者がはたして手を加えていいのか疑問を持ちます。

では、親が判断した場合はどうなるのでしょうか?

遺伝子の異常であれば、どういった子が生まれるかは予想がつきます。

そしてその生命に対して親がどこまで責任を持って育て、保護していくかにかかってくるでしょうから、現実の社会を直視すれば深い判断とつらさを伴うものの、決断はできると思います。

しかし、そうではなくその生命力の強弱となった場合においてはどうでしょうか?

これは「神のみぞ知る」としか言いようがありません。

この問題は非常に難しい問題ですが、私としては受精というチャンス作りまでが人間が手を出してよい範囲であり、それ以降はやはり自然の力に「任せる」べきだと考えています。

やはり、手を差し出してはいけない世界があると思うのです。

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