ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

山中教授、ノーベル医学賞おめでとうございます。

2012.10.12

今週は山中京都大学教授のノーベル医学賞受賞のニュースが流れました。

先生のIPS細胞の開発は日本の誰もが「いつかはノーベル賞」と思っていただけにうれしいニュースであり、また当然と思える出来事でもありました。

柔道の怪我で受けた整形外科の診察から整形外科の医師となることを目指し、神戸大学医学部卒業後、目指す医師になれたものの、手術がうまくできると思っていた自分の考えとは裏腹に声もかけられない自分に「それなら基礎医学の研究者になり患者さんを助けよう」と決め、研究の道に進んだとインタビューでは答えておられました。

今回は英ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士も医学賞を受賞。

山中氏はなんといっても嬉しいのは博士と一緒に受賞できた事と、80歳の母が生きているうちに、この報告ができたことと言われていました。

人の気持ちとはこういうものなのでしょう。

やはりここまで支えてくれた人への感謝の気持ちが先に出てくるのでしょうね。

非常にスマートでスポーツマンの山中教授。

しっかりと何かを見つめるまざなしと、淡々と語る口調にまだまだ先の長い研究への闘志が感じられました。

さて、とかく「頭のいい人は医学部へ行き医者になる」と言うのが世間の考え方のようですが、もっと能力がある方はやはり研究者になっていただきたいと昔から思っていました。

自分にはそういった秀いでた能力はありませんでしたが、小学生の頃から研究者にあこがれ、出来たら将来は科学者になりたいと思っていました。

それは、色々な人の伝記を読みながら、フラスコやアルコールランプをいじくり、顕微鏡をのぞく姿の白黒写真を見て、それがとってもカッコよく見えたからです。

でも、実際は地道な作業の連続。

「失敗ばかり」と山中先生は言いながら「研究はマラソンと同じですよ」と。

「体力と忍耐の勝負」だと。

確かにそうなのでしょうね。

どの世界においても能力は大事ですが、それ以前にこれらがなければ始まらないのですね。

そして、目指す目的に向かって使命感を持てるということは素晴らしいことですね。

電気料金は必ず高くなるはず

2012.10.05

だんだんと東北大震災の痛ましい場面の放送が少なくなっていく一方、今後のエネルギー政策について、色々とTVで専門家を呼び論議がなされています。

政府は2030年までに原発の依存度を0%、15%、20〜25%という選択肢を出し、これについて国民の意見を元にエネルギー政策をまとめようといっていますが、こんなやり方で本当にいいのでしょうか?

もちろん私は、原発に依存しないに越したことはないと思います。

しかし、原発に依存しなければ電気代がどのくらいになるか、やはり国民にはっきりと知らせるべきだと思います。

今は水力・太陽・波力・地熱などのエネルギーが取りざたされていますが、これらが自然の力を頼りにしたエネルギーである以上は、安定したエネルギーを保持していくには大きな蓄電池がなければまず不可能です。

ですから、火力に依存したとしても「原発なし」といったことは、現実不可能だと確信しています。

また、TVを見ていると「太陽エネルギーを使おう」と、太陽パネルの宣伝が非常に増えてきたように感じます。

「家庭で余った電気は電力会社が買いますよ」ということで、すでにこの事業は始まったようですが、その買取価格は原子力や火力発電などと比べると5倍のコストがかかるといわれています。

そのように高い価格であれば、この価格は売るときにはもっと高くなり、必ず我々の電気料金に反映されてくるのです。

それでなくても日本の電気料金は世界に比べて高いといわれているのですから、さらに住み難い日本となってしまうではないですか。

私は言いたいです。

もっと電気料金を提示してエネルギー政策を述べてもらいたいと。

だますような掲示はやめてもらいたいと。

そして、ある程度は原子力に頼らなくてはいけないと明言すべきです。

実現不可能なことを、いくら述べても時間の無駄ではないでしょうか。

そうでないと、まさに年金と同じ目にあってしまいます。

支払った金額より、将来支給される金額が少なければ、誰も納付などしたくないですよね。

若い人たちの気持ちがよくわかります。

こんなことならば、納付せずに自分で貯めておいたほうがよほど納得いくわけですから。

二人の自分

2012.09.28

会社が入っているビルの正面玄関はいつも朝8時にシャッターが開きます。

玄関を入ったロビーには新聞受けが設置されていますが、8時前に配達された新聞などは投函できないので、宛先が書かれた小さな紙が張られて、シャッターの前に置かれています。

宛先会社の社員が出勤なされば当然、その配達物は拾っていかれるのでしょうが、早い時間ですとまだ出社されてないので、その配達物は玄関の床に置かれたままです。

朝、8時10分私は出社してきました。

シャッターはすでに上がり、正面玄関が開いています。

でも、床を見ると配達物が無造作に置かれています。

「当社のものではないから、別にこれらを取る必要はない」という自分と、「散らかっているのは誰が見ても美しくないから、拾ってそれぞれの会社のポストに投函しておいてあげよう」という二人の自分が心の中に現れます。

「自分には関係ないから・・・」と、それらを拾うこともなく玄関を通り過ぎてオフィスの席に着いても、どうもやはり落ち着きません。

これって何なのでしょうか?

清潔好きとは違うと思うのです。

多分、自分の中で思い描いている自分のあるべき姿(行動)があり、これを求める自分と、こんなことはめんどくさいと自分の欲求・欲望に動かされてしまう自分がいるのでしょう。

そのため、このような欲望や欲求に自分が屈してしまうと、やはり落ち着かないのでしょう。

自分がしたいことでも、しないで自分を抑える人間。

あるいは逆にあえてしなくてもいい事なのに、すべきと自分に言い聞かせるような気持ちを持てるような人間。

これこそが真の自由の意味であり、自分を成長させることができるのでしょう。

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